浮世絵作品の紹介⑥
「両国花火」

 現在も夏の最大の行事である「隅田川花火大会」。その前身である両国の花火がこの浮世絵のテーマです。画面下の両国橋は、武蔵国と下総国の2つの国に架けられていたことからその名が付けられ、当時この場所は江戸屈指の繁華地でした。放物線を描き落ちていく花火と、爆発した花火が星のように輝き、夜空明るく照らし出している表現は今にも音が聞こえてきそうです。
 花火は、納涼の一大イベントとして、川開きと川仕舞いに行われていました。現在でも川に納涼の屋形船が所狭しと浮かび、昔も今も変わりません。
 当時は、花火の打ち上げを両国橋上流が「玉屋」、下流を「鍵屋」が担当していたことから、両国橋ごしに左岸を望むこの花火は「鍵屋」のものと考えられるそうです。 
 花火といえば、夏。しかしこの作品は川仕舞いのようすのため、シリーズをセットで販売するためにつくられた目録では、秋に分類されています。

 

浮世絵で下町を散策してみませんか  ~シリーズ第2章(通算No.6)

 歌川広重が上野・浅草などの繁華地を描いた作品(「名所江戸百景」)から春夏秋冬各1点の4図を展示しました。
 四季の変化は言うまでもなく日本人の感性に大きな影響を与えており、広重の浮世絵には単なる場所だけでなく、移り変わる季節の美しさが表現されています。ご来校の際にご覧ください。
 『名所江戸百景』のシリーズは広重が晩年、安政3年に制作した連作で、多色刷りの技術も高まり、風景画としての完成度が高い作品です。出版の前年、安政2年に江戸は大きな地震と火災により甚大な被害を受けました。被災した江戸の変化を目の当たりにして広重は何を思ったでしょう?108枚におよぶ連作には、美しさとともに江戸市中や、多くの人々を偲ぶ気持ちが込められていたかもしれません。シリーズ刊行と同時に広重は剃髪しました。ちなみに108の数字は、煩悩の数と同じですが、1年の移り変わりを示す12ヶ月と二十四節気・七十二候の合計です。
 画面に刷られた画題は、複数の地名や言葉を並べたものが多く、言葉の間に「の」「より」「と」「を望む」などを補うと分かりやすくなります。

浮世絵作品の紹介⑤
「上野清水堂不忍ノ池」

 明治のはじめ、上野戦争で堂宇のほとんどが焼失した寛永寺。画面の中央にせり出た建物は奇跡的にその焼失を免れた清水観音堂の舞台です。舞台で有名な京都の清水寺を模してつくられました。
 現在の上野公園全域は、かつて徳川家の加護により天海和尚が寛永寺の寺領を利用してつくりあげたテーマパークでした。そのため舞台から眺めている不忍池も琵琶湖になぞらえたもので、中島には竹生島に倣った弁天堂もあります。また、この地域は江戸一番の桜の名所でもあり、画面ではちょうど満開の春を華やかに描いています。また、画面左の丸くねじれた松は「月も松」と呼ばれた有名な松で、現在は「ぐるぐる松」とも呼ばれ、舞台の下に再現されています。広重は他の浮世絵でも「月の松」を描いており、お気に入りだったように思われます。
 簡単に京都へ旅できなかった時代、京都旅行を疑似体験できるそんな場所をつくってしまう発想や力に驚かされます。