本校体育館裏の「梅花」…こんなめだたないところに咲いているのはモッタイナイ。花の可愛さはいうまでもありませんが、その香りはまさしく”早春”そのものです。(本文とは関係ありません) 本校体育館裏の「梅花」…こんなめだたないところに咲いているのはモッタイナイ。花の可愛さはいうまでもありませんが、その香りはまさしく”早春”そのものです。(本文とは関係ありません)

矢のように1月は飛んでいってしまいました。本日節分。2月は逃げていく?そして、本当に寒い毎日、冷たい指先、乾く肌・・・、今日からさらなる寒波の襲来?・・・・もう少しの期間、寒さへの対策と「がまん」が必要ですね。
 ところでこの時期になると、私が中学校で担任をもっていた頃、必ず扱っていた道徳の教材があったことを思い出します。「足袋の季節」です。各社の道徳の副読本に、よく載っているものです。(ちなみに本校は3年生の副読本です。)
 今月は、寒く冷たい時期にぴったり?の話題にしたいと思います。この教材のあらすじは・・・・

昭和の初期、私は小学校を出るとすぐに小樽(北海道)の叔母の家に身を寄せ、郵便局の給仕(雑用係)になった。月給が14円で、食費に13円50銭、残り50銭で散髪したり銭湯に行ったり・・。寒い冬でも足袋(たび・・・現代で言ったら“くつした”ですね)を買うことすらできなかった。雪の中を素足で局に通いながら、何とかして足袋を買いたいと思っていた。

局の構内には“大福もち”を売りに来るおばあさんがいた。ある日、上司の言いつけで、10銭玉を握って大福を買いに行った。おばあさんは「50銭玉だっね」と尋ね、私は、自分が渡したのは10銭玉だったが、その時、「40銭あったら足袋が買える」と思い、つい「うん」とうなずいてしまった。あの貧しいおばあさんから金をかすめ取った、という自責の念(自分で自分の過ちをとがめること)にかられ、その事でずいぶん長く苦しんだ。昇進して札幌局に配属され給料も上がり、初めての月給で、自由になるお金をもらうと、それで果物を買い、おばあさんを訪ねた。しかし、その時すでにおばあさんは亡くなっていた。

 改めて…この話は「道徳」の教材ですから、「私」はどうすべきだったのか、「釣銭の間違いで儲けたことで何が悪い?」等と自由に考えさせて、自分の弱さや醜さを見つめそれを乗り越えようとする力について考えさせたい、という思いがあります。書かれたのは1963年、“足袋(たび)”をはじめ“逓信(ていしん)”(=郵便)や10銭・50銭選等々現代の生徒たちにはほとんどなじみのないことばが出てきます。「雪の中を素足で飛び跳ねて職場へ通う」など生徒からすれば「うそでしょ~?」と一蹴されてしまと思います。
 しかし、(その寒い時期だからこそ) “ラッキー”と思えることを自分自身がそのまま受け入れてよいのかという戸惑いと「やはり正直にお釣りを多くもらってしまったことはいけないことだったのだ」ということを、「私」がその後ずーっと心に持ち続けることの“強さ”を感じさせたい、という思いで、担任である私はこの教材を使っていました。
 一方で、私自身がこの教材を通して考えることがあったのです。それは、おばあさんは、たぶん「渡されたのは10銭だったろう」と思いながらも「50銭玉だったね?」と「私」への釣銭の確認をしたこと、そして、うその「うん」をなぜ受け入れたのか…ということを考えてしまうのです。毎年毎年、担任するメンバー(生徒たち)が変わったとしても、担任である私は変わらない。だから私自身の教員スピリッツのためにもこの教材を毎年扱いました。
 このおばあさんを教員としての自身に置き換え、(お釣りを多く渡されたことに気付き、それを「私」が正直に申し出なかったとしても)いつか、自分自身の不正直を反省し、それを詫びて強くなっていってくれよ」との期待感を込めて、その生徒(若者)を信じ続けることの大切さを、おばあさんの「ふんばりなさいよ」の一言に感じるのです。そして、私も、同じようなシツエーションがあった時、心の中だけでもこの一言を若者に言い続けていく大人でありたいと思うのでした。このおばあさんのように、無類の愛情をもって若者を応援できているでしょうか、自責や後悔の念をもたせるとともに、それを克服させるだけの人間力を育み、大人へのステップを歩ませたい。「足袋の季節」を読みかえすたびに、「まじめと誠実」が人間としての成長の土台であるとつくづく感じるのです。(どこまでも“おめでたい”大人なのかもしれませんがね…)
 明日は立春。しかし、寒い日はやはり冬、寒いです。そのような中での「試験」や「様々な挑戦(部活動等)」そして“希望の春”に向かう毎日の通学…。自分の望む進路をめざし、健気に自分らしく、一生懸命になっている若者一人ひとりに「ふんばりなさいよ!」と声をかけていきたい、そう思います。
 ひたすらがんばる生徒(特に高校受験生)の皆さんにはもうひとつ・・・・閏年(うるうどし)は、オリンピックイヤー(夏季)です。私は、2月が29日まである年は、寒いながらも今からとてもわくわくしますね。きっとオリンピックをめざす選手たちの中で、寒い今を乗り越えること(やりぬくこと)ができる人が、パリで自分のベストを尽くせるのだと思います。寒く冷たい冬をつらいと感じているのは、君だけではない。大人は君に代わることはできないのです。「ふんばれ・がんばれ」しかいえないのです。

 遅ればせながら、新年おめでとうございます。

今年最初のブログは、いきなりプライベートな話題でスタートします。

『40度の熱を出してもがんばって学校は行くものです。』

『先生のいうことは尊敬してききなさい。』

『早く寝なさい。同じ時間なら朝のほうが集中する。』

『キャベツを食べると頭が良くなるのよ』

『痛み止めを飲むと痛みは長引く』…

 私の母は2011年5月に他界しましたが、小学校のころまでいつも言われていたことを…不思議なことに、特に新年になると鮮明にそして教訓的(叱られるように)思い出すのです。

 ところで、私は昨年末に口腔内の手術、部分麻酔で全く痛みはありませんでしたが、口腔内はまるで“道路工事を行っているような音を聴き、歯や顎骨は削られていました。しかし、事前説明の予定時間通りで手術を終えました。医師より「傷口が痛かったら飲んでよいですよ。」と痛め止めの錠剤を渡されました。私は、母親の教えを守り、少々痛くてもそれを飲まないことを自分だけで納得していたところ、医療関係に勤めている妻から「それは間違い。我慢しないで飲みなさい」といわれました。そして、飲んだらとても楽になりました。併せて、「唾液」が口腔内の健康を保つ(出血を止める等)ということを身に染みて感じたものです。

 話は母親のことばに戻して…「キャベツ…」は、たぶん嫌いなものを好きにさせようとした。そして、「痛み止め…云々」は、たぶん(勝手に)我慢強い子どもにさせたかった。

 「40度の熱を出しても学校は…」は、今や時代遅れの考え?しかし、(母親なりのその当時の考えは、)「学校」は、我が子に学力をつけ、友達と分け隔てなく健全に成長するうえで欠かせない機能であることをそのような言葉で表現した。小・中・高そして公立私立の違いはあれ、私は、長年「学校」に勤め、「教員」をし、「教員」を育ててきた者として、この「学校は行くものです」「先生を尊敬しなさい」のことばは、どんな有名な講師による研修会の“指南”よりもいつまでも心に響く教えであると今さら思うのでした。そのうえで…以下、年始の誓いとなりますか…。

 義務教育である中学校はもちろん、“通ってなんぼ”(通信制の学校ではないという意味で使用)を基本とする普通科の高校として、単に、毎日出席して「大学受験(特に最低限として共通テストを十分にこなせる)学力をつけること」だけでなく、その若者のこれから出会ういくつかの成功を勝ち取り、多くの挫折を乗り越えられる資質を地道にはぐくめる「学校」でありたい。3年間・6年間という期間で、生徒をして「毎日毎日、楽しく(自分のこれからの進路にとって)大変有意義でした」と言わしめ「この先生の授業を受けることができて、このクラスで、生徒それぞれが対面で切磋琢磨でき、自分が(心から)成長できた」と自覚ができるような、「学校」をめざし、「教員」を育てなければいけない、そのようなことを思いながら、(教員歴通算45回目)の3学期始業式を迎えました。

 もうひとつ、母の格言(?)を思い出しました。『たまごは、ひとり一個ですよ。』(兄弟の多かった我が家は、夕食に”おでん”がでると必ずいわれた)ゆずりあいや平等の精神を一個のたまごから学習したのかもしれません。…本年もよろしくお願いいたします。

本文とは全く関係ありません。校訓『正しい姿  明るい心』

夏休み中、各部活動は普段の活動に加えオープンスクールでの受験生の「体験」の準備をしました。(本文とは関係ありません) 夏休み中、各部活動は普段の活動に加えオープンスクールでの受験生の「体験」の準備をしました。(本文とは関係ありません)

7月下旬、国連・グテーレス事務総長「地球温暖化の時代は終わった。地球沸騰化の時代が到来した」と宣言しました。8月は「迷走台風」「線状降水帯」「○○川氾濫」等々(他の地方ながら)水の怖さを再認識させられるようなテレビの“映像”もたくさんあった夏休みでした。一方、ダムの水が枯れて、稲をはじめ農作物への影響も心配の地方も…。9月に入っても、本当にまだまだ暑い。そして明日は「台風対応」…。9月もきっと様々に“判断”を迫られるでしょう。
 9月1日、女子校らしい“歓声”が戻ってきました。やはり生徒の元気な声が聞こえてこその学校。始業式、講堂(もちろん、エアコンはスイッチが入っていましたが)は生徒の熱気でやはり暑かったです。夏休み、クラブ活動の成果が“表彰”という形で示され全校生徒から賞賛をもらう、その時間に費やされました。
 始業式では、いつも長い長い話をする私は、そのこと(表彰の時間)も見越して壇上では高校3年生の「総合型選抜」をはじめとする「大学入試のスケジュール」を確認しながら、「ぜひ皆さんがんばりましょう」と激励して終わりました。その代わり…(というわけではありませんが)ふたつの話を(普段から情報伝達のツールとして使っている)「BLEND」という機能を使って、全校生徒へ熱い熱い(暑い暑い)メッセージとして送りました。2学期最初の「ブログ」はこのメッセージでスタートしたいと思います。

第2学期BLEND始業式①
よいことは、自分の前を通る。後ろ向きの人は、よいことが見えない。

  皆さん、ごきげんよう。猛暑のなか、元気に夏休みを送っていましたか?今日から長い長い2学期のスタートですね。
 ところで、私は夏休みの学校のことで毎日とても気になっていて、今年は少しうれしいことがありました。補習や講習会が終わった後も、それぞれの部活が体育館・講堂・グラウンドで暑い中頑張っている姿がほぼ毎日見ることができたことはもちろんですが、私がとても気になっていてうれしかったことは図書室の利用が年々増えていることです。本校の図書館は、自分なりの計画で学習できる環境としては、実にすばらしいと、(この学校に来て以来)ずっと思っていたのです。自宅で自分の部屋にこもったり、テレビを見ながら学習する(課題をこなす)のではなく、わざわざ学校に来てでも、シンプルで静かな環境で集中して学習できるのはとても効率的だということが分かっているのだと思います。特に多くの高校3年生が活用していたことは本当に喜ばしかったことです。
 さて、本日の始業式では、いつものようにスライドで話のポイントを示しながら舞台上で話したかったのですが、あまりに時間がかかるのもよくないと思い、一番話したかったことをBLEND配信させてもらいます。(表彰など、他のプログラムもたくさんありますからね)2学期のスタートにふさわしい話かどうか…分かりませんがゆっくり読んでください。
 私は、NHKの朝ドラ(連続テレビ小説)が好きで、録画して(朝ドラなのに)毎晩見ています。最近では、アーカイブ(昔の番組の保存版)が昼間の時間帯にやっているので、それも録画で見ているのです。今放送しているのは“練馬区”にゆかりの植物学者「牧野富太郎さんの生涯」の話ですが、今日はそのアーカイブの「ひらり」(平成4年…皆さんの生まれるずっと前の作品ですね)のワンシーンとそこで話されたセリフ(台詞)を取り上げます。
 そのシーン。二十歳のひらりと、ロンドンとシェークスピアの作品にあこがれる75歳の(ひらりの)おじいちゃんとの会話。ひらりは大好きな竜太先生(親しい街医者)に少しでも“一緒にいたい”という思いを伝えたいが相手にしてくれない。むしろ、自分に対する竜太先生からの冷たい扱い(と勝手に思っている)に“愚痴(グチ)”をいいながら、ロンドン行きを明日に控えたおじいちゃんの荷づくりの手伝いをする。
 その“グチ”に対しておじいちゃんは……「ひらりィ~、“男に頼らない!!”なんて、頑張ることはないけど……、いつでも前を向いて歩け!」 さらに、
「“よいこと”っていうのは~、必ず自分の前を通っていくもので後ろは通らないものなんだよ。…だから前を向いていないとよいことに気付かない。後ろ向きの人間によいことがないのはそういうことなんだ。」
 2学期の、皆さんの大切なリスタートの日に、私のお気に入りのドラマの台詞を例にするのは、いかがなものかと思いましたが、「よいことは自分の前を通る。後ろ向きの人はよいことは見えない」ということばは、世の中の喜怒哀楽を全て知っているのであろうこのおじいちゃんの、実に説得力のある表現ではないかと思ったわけです。まして住み慣れた自宅を離れ、その年にしてさらにイギリス文学を学ぼうとしている、といった(ドラマの)設定には「脚本家(内舘さん)には脱帽!」と思ったのです。いうまでもなく、若いひらりの、穏やかでないなげやりな心を少しですが前向きにしたワンシーンとなりました。
 さあ、今日から2学期スタートです。忙しくも、毎日を楽しく充実して、良いことが自分の前を通るように、前を向いて生活していきましょう。

令和5年度 第2学期BLEND始業式② 今そしてこれからの皆さんに大切なもの

 BLEND始業式の「式辞」第2弾です。この話は本校でのオープンスクールでの挨拶のなかで話したものですが、せっかくなので皆さんも共有して下さい。
 いきなりですが、皆さんは「認知能力」と「非認知能力」は知っていますか?テストのスコア、IQ等、数値で測れるものを「認知能力」と言います。一方、数値で測れるものに加えて(変えて)ものごとに取り組み姿勢や、心の内面の部分の能力を「非認知能力」と言っています。かつて「偏差値」をはじめとする数値によって「学力」の“ある・なし”をきめ、入試合否の大きな基準としていたわけです。もちろん、現在の入試でも「認知能力」をはかることは大切な要素のひとつです。
 しかし、私は長年教員をしてきて、今一番強く思うことがあります。それは、私たち“大人”(教員も保護者もという意味で)は、若者の「非認知能力」をどのようにはぐくみ、高めていくか、ということです。具体的な表現をすると例えば以下のようになります。
1 “自分自身”を理解する力
2 目標をもち、その目標に向かう力、そしてやり続ける力
3 困難(課題)に直面した時の乗り越える力
4 他者と上手に(仲良く?)かかわっていく力
5 心身の体調(状況)を、自身で管理できる力

自己基盤(自分軸)の形成
 若者は、特に皆さんのような中高生は“未来”を経験していないので、“未来”のことは分かりません。しかし、逆に“想像”し“創造”しようとすることができるということはとても素晴らしい。私はそう思います。さらに、周りの“よき大人”(ロールモデル)を見て、また様々な情報を収集し、自分の未来像が確固たるものにしていくことができれば、本当に素晴らしい。
 例えば、「こんなはずではなかった」と自分の描いてきた未来像が計算違いになったとしても、うまく修正したりして“立ち直る”事ができるようにするのも、この「自己基盤(自分軸)の形成」ができているか、というこことがとても大切だと思うわけです。
 そして、(繰り返しの表現になりますが)求められる「非認知能力」の一つひとつが、今作られているものでなく、実は“ものごころ”のつく幼少期から父母をはじめとするご家族や皆さんに近い大人たちにより、少しずつはぐくまれ、広く大きくなっていく“力”なのです。中学や高校に上がろうとしている受験生の皆さんにとっては、「非認知能力」つまり「自己基盤(自分軸)の形成」の現在進行形なのだといってよいと思います。
 さあ、皆さん。いよいよ2学期が始まりますね。 改めて、毎日の学校生活の授業をはじめとする様々な取組について、先ほどの1から5の力をつけるという観点で考えてみてください。中高生活の様々な取組を通して「非認知能力」を高め、自分軸を形成していく…少なくとも「自分の将来は自分で決めていくもの」という意識を確かなものにしていってほしいと思います。さあ、2学期です。たくさん学んでいきましょう。