関町北小の3年生の皆さんは、「事前に”社会科見学”で練馬区の防災センターに訪問、また道徳の授業では”3.11を忘れない”という単元で防災に対する学びを深めていた」と吉川校長先生がおっしゃっていました。
児童の皆さんは、とても真剣に、しかしクイズ形式の本校生徒のプレゼンを一生懸命応えようとしていました。関町北小3年生の皆さんありがとう! 関町北小の3年生の皆さんは、「事前に”社会科見学”で練馬区の防災センターに訪問、また道徳の授業では”3.11を忘れない”という単元で防災に対する学びを深めていた」と吉川校長先生がおっしゃっていました。
児童の皆さんは、とても真剣に、しかしクイズ形式の本校生徒のプレゼンを一生懸命応えようとしていました。関町北小3年生の皆さんありがとう!

今年もこの日・この時が来ました。「東日本大震災」の日です。黙とう。知り合いが被災したわけではないのですが、やはり教師である以上、この日のことをしっかり思い出し、生徒の生命の安全を常に考えているきっかけの日にしたい。毎年そのように思う日です。まして本年は1月1日に石川県能登でも大きな地震があったのですから…。
 今年は、13年前のあの日のことを思い出しつつ、本校中学1年生の取組についてご紹介したいと思います。本校は、理科の教員が中心となり社会(地理)・家庭(単元:生活と災害)の教科とコラボして「教科横断型」の授業を行っています。今年度は授業計画の最後に地域の小学校に行って、「発表」することでその学習成果を小学生と共有するということを行いました。防災意識を小中学生なりに高めることが大きな目標ですが、教室内の仲間にするのではなく、初めて出会う、しかも小学生に自分たちで調べたり研究したりしたことを分かりやすくプレゼンすることは中学生にとっても実に有益なことでした。普段でも元気な本校中学1年生たちは、実にいきいきと自分たちの作成したプレゼンを発表し、小学校三年生と一緒に楽しく学んでいました。(余談ですが、あの震災の年に生まれた生徒たちがこの日に「防災」の取組をするのは、とても象徴的な思いがありました。)以下、ご参考までに、授業計画について掲載いたします。(もちろん、「研究授業」で行ったわけではないので、指導案の形式もふくめ不備な部分もあると思いますが、どうかそのこともご容赦くださいますようお願いいたします。)

令和5年度 中1教科横断探究授業「関町の児童を守る防災学習本の作製」
1.目的
 2000年代に入り災害の発生件数が増加しており、防災教育の必要性がさらに高まっている。昨年度は災害を最小限に抑える対策として中学1年生が「関町の住民を救うオリジナル防災マップ」を作成したが,年齢問わず防災に関する知識を多くの人に定着させることが課題であるという意見がでた。本授業は,社会、理科、家庭科の学習を生かし、小学生の中学年が理解して学べる地域密着型防災学習本を作成する。この活動を通して,社会をより良くする姿勢を身に付けさせると共に,以下①・②のような力を育成する。

①自身および地域住民の生活や地域の特性と防災を結びつけて考える力を育成する。

②グループワークやフィールドワークを通して,学習したことや経験から得た視点で地域を分析し,自ら課題を見つけ解決していく力を育成する。

2.最終目標
中学1学年で「関町の児童を守る防災学習本」を1つ完成させる。また,完成したものを練馬区危機管理室区民防災課で講評して頂き改善を加えた上で,小学校で発表させていただく。この活動により、目的にあるような姿勢や力を養うことが目標である。

3.実施時期
2023年9月~3月(2・3学期)

4.方法
①課題・目的の理解と学習・・・各教科の授業内で,防災のために求められる知識の習得や考察を行う。
②掲載内容を考える・・・・・・①の学びから児童向けのクイズをつくるべき事項をクラスで相談し,項目を絞る。この時,教科の学びに特化したクイズだけでなく,関町の防災に関するものも考えさせる。
③フィールドワーク(実習)・・・児童の視点で関町の防災に対する取り組み状況を確認し,クイズの情報を集める。また,クイズの内容により必要であれば実習などを行う。
④クイズの作製・・・・・・・・防災学習本を作成する。
⑥発表・・・・・・・・・・・・練馬区防災課の方々に学びの発表を行う
⑦幼稚園や小学校への発表・・・地域の小学校へ依頼

5.指導案
期間 教科 内容
9・10月 理科 課題と目的の共有・発表の仕方
2学期 家庭 生活と災害(防災対策・非常用持ち出し袋・防災ミーティング)
冬休み 理科 ワークシートにてクイズ内容を考える
3学期 社会 防災に関する学習
1月中旬 掲載内容を冬休みの宿題から出し合う
1月下旬 フィールドワーク
2月上旬 クイズ作成
2月中旬 発表資料の作成
2月下旬 発表
3月11日 小学校へ発表に行く(関町北小3年生)

 

 

 3月2日(土)、風は冷たかったのですが、実に「卒業式日和」。本校で盛大に卒業式が挙行されました。かつて全校生徒が参列しての式でした。(施設の大きさもさることながら、全校生徒と卒業生の保護者が入るのに十分な人数であったのです)さすがにここ数年、コロナ対応も相まって保護者が入っての当日は全校生徒で卒業生を見送るわけにはいかず、前日の“予行”で全校生徒が一堂に会する最後の機会としています。式当日の「式辞」と予行の際に話したことを挙げさせていただきます。

式辞

 華道家元がいけてくださったエントランスの桃の花がかわいらしく、そしてやさしく皆さんを迎え入れてくれました。卒業する皆さん、ご卒業おめでとうございます。

 PTA会長 ●● 様・後援会会長 〇〇 様 同窓会長 □□様には公私ご多用のところ、ご臨席賜り誠にありがとうございます。そして、物心両面にわたるご協力・ご援助に対し、心より御礼申し上げます。

 卒業する皆さん、新年一月一日、石川県能登半島で大きな地震がありました。大変な中で大学共通テストを受験した仲間たちがたくさんいたようです。加えて新型コロナ・インフルエンザの流行の中で、皆さんはこの日・この場を迎えることができました。だから、皆さん。今日この日を迎えられたことに改めて感謝してください。被災した高校生たちのことを「自分事」として考えるなら、感謝の気持ちが湧いてくるものと思うのです。そのうえで、皆さんの高校生活最後の一日、本日この一日を晴れやかな気持ちで送ってほしい。私はそのような思いでいっぱいです。 

 さて、いきなりですが皆さん、今日の式辞は、皆さんへの「質問」からにします。

「あなたにとって、命(いのち)の次に大事なことは何ですか?」どんな答えでもどんな答え方でもよいです。さあ、君、どう答えますか?

 私は、自分の「命(いのち)が一番大事」だと思います。しかし、質問は「命の次に大事なこと」です。先日、私は、そのことを「テーマ」に掲げた本を読みました。

『「国境なき医師団」の僕が世界一過酷な場所で見つけた 命の次に大事なこと』 著者は村田慎二郎さん、2020年コロナの真っただ中で、全世界的なメンバーのいる「国境なき医師団」の日本人初の事務局長になりました。2012年から10年間、シリア・南スーダン・イエメン等の紛争地で、物資の輸送や水の確保などの現地での医療活動を支えてきた村田さんは、大学を出て外資系のIT企業に就職したものの、「世界の現実を自分の目で見てみたい」と考え、「国境なき医師団」をめざしました。しかし、英語力が0(ゼロ)、2度試験に落ち、3度目の正直で入団したのです。

 ところで、皆さんは、テレビ等で「ウクライナでの戦争」の様子やイスラエルとパレスチナの地域紛争を少なからず知っていますね。村田さんは、その“ガザ地区”などでイメージできる紛争地での活動の中で、命がいくつあっても足りないような危険な目に合いながらも、理不尽な扱いを受け、けがを負った人々を治療し生命や健康を守り抜く医師たちの活動を(それこそ)自身の命を懸けて支援してきました。そして「命の大事さ」を実感し「命の次に大事なこと」を探し当ててきたのです。そのことがこの本から多くを読み取れるのです。

 卒業する皆さん、いうまでもなく「命の次に大事なこと」は、一人ひとり違います。その答えは“家族”かもしれない。“恋人”かもしれない。“お金”かもしれない。“生き方”そのものかもしれない。私は、その答えを、今、皆さんに求めているのではありません。なぜならその答えを見出すことには、村田さんのように時間と経験が必要だからです。私は、しかし皆さんにこの質問をした者として何か共通するヒントを伝えたいと思うのです。

  改めて、皆さん。皆さんがこの4月から迎える次のステージでも、この問いをもち続けていくことが、真に充実したキャンパスライフにつながるのだと思っています。いや、卒業する皆さんだけでなく、多くの人にたぶんこの問いが「職業観」や「人生観」につながっていくと思うのです。村田さんは、命の次に大切なものは「命の使い方」だと言っています。そして、そのように考えると、矛盾した表現になるかもしれませんが、命を懸けて「命の次に大事なこと」を守ったり、獲得したりすることもあり得るのかもしれない、私は本を読みながらそう思いました。

そして、私は私なりにその答えを見出していました。(この場では言いませんよ)

 村田さんはさらにさらに、「家もない。学校もない。でも命はある。誰が悪いのかわからない。ただ、傷跡だけが重なっていく。」そんな紛争地の人たちの様子を目の当たりにして、「日本のような国にいて“夢”を追いかけないのはモッタイナイ」と若者たちに言うのです。皆さんの18年間は、個人的な生育環境は様々であったにしても、この日本は大きな夢をもち、それをはぐくむことができるうらやましい国であるのです。

私も校長として、皆さんに「Ask yourself what I can do for others with all my soul.」といいたい。繰り返すようですが、「命の次に大事なことは何か」このことを新しいステージでの「学び」につなげていってほしい、心からそう思うのです。

 改めまして、保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。小学校からの、十二年間におよぶ「児童・生徒の保護者」を終わることに、一抹の寂しさとともに、お嬢様以上の“感慨”をおもちなのではないでしょうか。そして、この四月からはここにいるお嬢様たち全員が法律上の「成人」となり、皆様は「保護者」でなくなるわけです。しかし、お嬢様たちが真に自立した女性になるには、大人としての皆様の支えがまだまだ必要であると思います。どうぞよろしくお願いいたします。そして、6年間・3年間、本校の取組に対して物心両面のご支援とご協力をいただきましたこと、改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

 さて、卒業する皆さん、皆さんには、3年前の入学式で「Keep on Learning  & enhance your well-being」ということばを掲げました。「well-being」ということばを紹介した最初の学年です。

 何かに迷った時、それが自分の成長やそばにいる人の幸せに繋がると思うなら「苦しくつらい」方を選びなさい。「楽な」方を選ぶ人は、きっと後悔します。自身で正しいと思う何かを始めたらやり続けなさい。途中でやめようと思ったらちょっと待ちなさい。もしやめてしまったらあとで続けておけば良かった、と思うものです。そして他人からの信頼もなくなってしまうものです。努力とその継続の奥にある真の「well-being」を掴み取ってほしい。そう思います。  

 さあ、卒業生の皆さん。いよいよお別れです。皆さんは「正しい姿 明るい心」の建学の精神の中で自分らしさを育んできたことに私は敬意を表します。その自信と誇りをもって、次のステージで、自分らしく、凛とした女性として活躍してほしい、人生百年時代の社会の中で、それぞれの持ち場で社会に貢献してほしい、そう願っています。

 卒業する皆さん、最後の最後に・・ちょっとやそっとじゃへこたれない、落ち込まない、たくましく生きるタフな女性になりましょう。そして、お互いがんばりましょう。若者の進もうとする道をいつまでも応援しています。以上で私の式辞といたします。

令和6年3月2日東京女子学院高等学校長 野 口 潔 人

 

「卒業式予行」に際しての話

 皆さん、「全校生徒が一堂に会す」ということは、この予行が最後になります。卒業生だけではなく在校生を含めて、私から全校生徒への本年度最後の講話とします。少し話す時間をください。

本日この時間ふたつ話をします。

 ひとつ目、私立学校は、中学も高校も、学校の教育活動の学校説明会に来た受験生に「ぜひ、本校に来てください」と特徴を一生懸命アピールしますね。私は、毎回本校のよいところを私なりにアピールしてきました。ここにいる皆さんは、少なからずそのアピールに答えて本校を選んでくれた。しかし、いくら私や先生方がいろいろなアピールをしたとしても、実は一番効力があるのは皆さん在校生の姿を受験生にみせることと実際の「進学率」だったり「進学先」を示せることなのですね。「国立・公立」、「早慶上理」、「GMARCH」「大東亜帝国」などという言い方で、受験業界等が「ランキング」を決めています。特に、そのような大学に何人合格したか、ということが本校への受験に大きく影響しているのです。

 その意味では、それらの大学への進学率があがり、難関な進学先に合格していることはとても喜ばしいことです。明日卒業式を迎える3年生の皆さん、本当によく頑張りました。昨年の2学期初めから、「挑戦する気持ち」をもって進路を自ら切り開きました。全校生徒の前で皆さんの「挑戦」をたたえたいと思います。そして、今もって頑張っている生徒もいると聞いています。その生徒には「最後まで頑張れ」と伝えたい、そう思います。

 さて、改めて皆さん!もうひとつの話をします。私が今日どうしても紹介したかった「ことば」があります。これです。(壇上で表示)「すべてはうまくいっている」…この言葉…どこかで見たことはありませんか?そう、体育館の壁に貼られているものです。R先生に確認したところ、確かに令和2年度に卒業した生徒がつくり掲げたのだそうです。先生には、なぜ「すべてはうまくいっている」のか等々、それ以上のこと聞きませんでしたが、思えばその時のバレー部は「強化クラブ」であるにもかかわらず、様々なことがあって6人のメンバーしかいませんでした。一人でもけがをすれば大会にさえ出場できなかったはずです。そのようななかで、このことばを掲げて練習していたわけです。私は、今現在の元気で明るく健気に練習している姿の原点はこのことばにあるのだろうと勝手に思ってしまいました。バレー部の皆さん、どんな風に思いますか?…はい、バレー部を通しての話はここまでです。

 皆さん改めて「すべてはうまくいっている」について考えたい。皆さん、このことば、私は、究極の“前向き(ポジティブ)思考”のことばだと思うのです?「うまくいっている」のうしろに?(はてな)がついていないし、「うまくいっている」のは、「一部」ではなく「すべて」です。「すべてはうまくいっている」素敵なことば、これからの皆さんの将来に、とっておきのことばと思うのです。私は、このことばにまつわる何か書物やエピソードがないかと思い、探しました。

ありました。

  この本です。沖縄に住む精神科医の越智啓子さんという方が、はせくらみゆきさんというアーティストと共に作った大人向けの絵本です。タイトルはまさに「すべてはうまくいっている!」エクスクラメーションマークまでついています。「はじめに」の一部を読みます。

みなさん、この絵本を手にとってくださってありがとう。

すてきなご縁があったのでしょうね

(中略)

すべてはうまくいっている! ちょっと、 声に出して言ってみてください。

すべてはうまくいっている! この言葉は、 宇宙のしくみをシンプルに、 力強く表現しています。

とてもパワフルな言霊です。

すべてはうまくいっている! そう感じたら、 毎日がそう思えてきます。

すべてはうまくいっている! これを口癖にできたら、 毎日がそうなってきます。

すべてはうまくいっている! この意味が深く理解できたら、 あなたは人生の達人です。

すべてはうまくいっている!

…(中略)

いま、生きていてくれて、 ありがとう。 そんなあなたに、この絵本を届けます。

  皆さん、このことば、(バレー部の皆さんには申し訳ないのですが)バレー部の皆さんのものだけにするのはもったいない。皆さん一人ひとりが、これから生きていく中でちょっと憂鬱な気分にかられたり不安な思いになったりすることが必ずあると思います。そんな時、このことばを声に出して言ってみると、よりよい改善方法が生まれてくるかもしれない。本校で学ぶ皆さんは、「様々な力を、能力をもっているのですが、自信がもてない」「努力はしているけれど、どうも納得いかない」多くの人たちがそのような人たちです。なかには、ひとつの物事がうまくいかなかったことで、自分自身を含め、すべて否定してしまうような人を時々見かけます。そのような自分から、一歩前に踏み出し、苦しい場面を乗り越えることができるようになるために、もしこのことばが役に立つならそれはとてもよいことです。ネガティブに思い悩んでも、たぶんうまくいかない。「いやいや…、うまくいっているんだ。調子いいぞ!」と思うことの方が、実はよい結果がついてくる。皆さん、「すべてはうまくいっている」このことばを心に刻んでほしいです。

 以上で、予行での校長からの話とします。

 

 グラウンド脇の河津桜が満開の時期。そして本校のエントランスでは明後日の高校卒業式のために桃の花を家元が生けてくださいました。そのエントランス右手には、いつものようにひな人形の七段飾りが…4年に一度の2月29日。一回り前(4年前)は、まさしく幻の「2020東京オリンピック」の年、コロナにより休校がスタート。その時の卒業生は、ぶっつけ本番で証書を受け取った…そのようなことが思い出されます。

 改めて思えば、3年間の学校生活を無事に過ごし、その日を迎えられたことに「感謝」できることは当然のことかもしれない。そのように思います。能登半島の避難している高校生たちを思い浮かべればなおさらのことです。

 さて、その卒業式に配布予定のPTAの広報誌(「Cotton Rose コットンローズ」といいます)のために書いた挨拶文を校長ブログにも載せさせていただきます。以下その文章です。

「私…実は、ここ、卒業しているんです」学校説明会では、 しばしば『受験生』の母親がはにかみながら、しかし誇りをもって話をしてくださいます。私たち教員スタッフに話しながら、我が娘にたくさんのよき(?)思い出を伝えているようにも聞こえます。

 閑話休題、本校の校章は、(その母親ももちろんよく知っている) 芙蓉の花です。この花は八月初旬、一輪ずつ咲き始め、そしてすべてのつぼみが咲き誇り2学期中を楽しませてくれ、今年の『役目』を終えます。猛烈な残暑の中で際立つ清涼さは、「芙蓉女学校(創立当初の校名)」そのものです。寒いこの時期は、 来たる年にまた多く咲くための『エキス』を蓄えているように 見えます。

 生徒たちは、芙蓉が丘の若い春(→学院歌)に新しき風(→校歌) を吹かせ、しかし将来への少しの不安と思春期特有の悩みをもちながらも、一人ひとりの『今』を元気に送り、やがて 個性豊かで「繊細な美」をまとった「しとやかな恋人」(花言葉) に育ち、本校を巣立ちます。そして娘が生まれて母親となり(もちろん卒業生全員が母親になるわけではありませんが) 冒頭の「私…実はここを卒業…」。

 一年後には男子も入学、校名も変わります。昨年秋その説明をする際、生徒たちに集まってもらいました。臨時で保護者説明会もしました。私が「共学化…」と発声した時、生徒の中に少しの拍手があり、すぐ止みました。『不安感』を吐露なさる保護者もいらっしゃいました。数日後、ある卒業生の母親からの電話…。「校長先生!弟(息子)が今度中学三年生、受験校のひとつに考えますね」。我が子に、母親自身(または姉妹)が送った青春時代を知らせたい、勧めたい。 私学の教育にかかわる一人として、このことほどうれしいことはありません。共学になっでもいつまでもそのような学校でありたい、そのように思います。

卒業生の皆さん、祝卒業。