写真①季節外れに雪が降っているみたいな「ヤマボウシ」 写真①季節外れに雪が降っているみたいな「ヤマボウシ」

 皆様ごきげんよう。いきなりですが皆さん、“ヤマボウシ”(写真①)という樹木をご存じでしょうか?

 ホームページ校長ブログをはじめて開けてくださった方には大変失礼かと思いますが、今回はちょっと面白い(?)エピソードを紹介してこの駄文をはじめます。
私(校長)「I先生、ハナミズキは本来4月下旬ですよね。遅ればせのハナミズキが咲いていますね。」
I先生「校長先生、あれは“ヤマボウシ”という花ですよ。よく似ているから間違えますね」
私「へ~、”ヤマボウシ“ね…。」
I先生「2階の教室から見るとステキですよ。一面に雪が降っているみたいに…」
 本校のI先生は、本校にあるすべての樹木・植物の名を知っている教員です。大げさな表現ではありません。まるで、今NHK朝ドラで放送している「牧野富太郎」(朝ドラでは槙野万太郎)のようです。私は、“テレビっ子”世代ですので、録画機能がついたテレビを購入以来、ず~ッと録画したものを毎日”夜“見ています。そう、牧野富太郎さんは、94歳で亡くなられるまで30年間練馬区で過ごした方だったのですね。(練馬区立牧野記念庭園)さらにさらに、何と!本校の図書室には牧野さんがすべてスケッチした「増補版 牧野 日本植物図鑑」(写真②)が所蔵されています。(この本も、I先生が校長室にもってきて紹介してくれました。ものすごく貴重な本です)
 ところで、「雑草という名の草は無い」は牧野富太郎の有名な言葉です。こよなく植物を愛し、その研究に一生をかけ、自身が「好きなこと」を貫き通した。すばらしいしうらやましい一生と思います。この「雑草という名の…」という考えを、“教育活動”や“人材育成”という観点であてはめてみると、簡単な言葉のようで実に奥深い、そのような思いになりました。子どもたちには(当たり前ですが)それぞれ名前があり個性・特性がある。ハナミズキとヤマボウシがそれぞれ違うように…。その個性や特性を大人(教員や保護者)が、しっかり認めることから教育活動(含:子育て)を進めていく。その「しっかり認める」を、私たちはできているのだろうか、そう自問するのです。
 本校の樹木・植物の話に戻します。今、西門のところのタチアオイ(写真③)がとてもきれいです。またエントランスの手前には柏葉アジサイ(写真④)が雨に濡れながらしっとり咲き出しました。その隣にはバイカウツギ(写真⑤)がとてもかわいく咲いています。この花は、かわいいですが、気品を感じる純白さ、花の香りがふんわりとやわらかく甘いのです。  
 あわただしかった1学期前半、中間テストも終わり教育活動もいよいよ充実の1学期後半です。5月27日土曜日より“学校説明会”が行われます。受験生の皆さんには、本校の生徒たちのすがたも見ていただきながら、たくさんの花々を確認して、“お気に入り”を見つけてくださいね。次回は、(牧野さんも生き返ってくるのでは…?と思うような、本校体育館北側の湿地帯の「野草」について紹介します。

 

 さて、以下は5月10日に実施した「講堂朝礼」で私(校長)が生徒に話をした内容です。ご参考までにお時間がありましたらお読みください。

5月10日講堂朝礼「 皆さんに期待すること・・・Be a Global Citizen 」

 先日ようやく来年度受験用のパンフレットの原稿が出来上がりました。あとは印刷に出すだけです。撮影協力をしてくれた皆さんには私から改めてお礼を言います。本当にありがとうございました。 

 ちなみに、今年度の表紙のことばは、昨年度までと一緒で「Be a Global Citizen」です。そしてその意味は「地球社会の一員として国際社会に貢献できる女性(ひと)になろう」という意味です。育てたい皆さんの“姿”をずいぶん大きくとらえています。「グローバル」ということばが「学校教育の中で頻繁に使われだしたのは、たぶん皆さんの保護者の方々が生徒だったころ、1990年代です。

 ところで、私が校長として「グローバル」ということばを意識し始めたのは、恥ずかしながらついこの間(といっても今から12年以上前ですが)です。ある方の講演を聞いた時からです。ある方とは橘・フクシマ・咲江”という女性、その当時(2011年ごろ)アメリカのビジネスウイーク誌に「世界で最も影響力のあるヘッドハンタートップ50人」に、唯一の日本人として選ばれた方です。

 橘さんはその講演の中で「グローバルな人になるための基本を次のようにお話ししています。テーマは「中学生に期待すること」ですが、高校生の皆さんにとっても、実に深く理解ができることです

グローバルなコミュニケーション能力を培うことは皆さん(中学生)にとってとても大切であること、具体的には例えば「Aさんはアメリカ人だから○○だ・・とはじめから決めつけないこと」、「きれいな言葉はていねいな気持ちをつくること」などです。そして、その「グローバルな人」になるには、次のような考え方や行動が大切だ、とお話しくださいました。

それは・・・

○自分のしたことは自分で責任をとる(自律・自立)・・・失敗を人のせいにしない

○マニュアルに頼らない(自律・自立)・・・自分と人は違うので、マニュアル通りにはならない

○何でもやってみる(前向き)・・・むだな経験はない やってみなければ分からない

○成功の人生・キャリアは自分で作る(自律・自立)・・・会社や他の人は責任をもてない

○「できない」理由を考える前に、「どうやるか」を考える (前向き)・・・創造的問題解決能力を育てる

○人と競争するより、昨日の自分と競争する・・・他の人にはなれない、毎日新しいことを学んで、昨日より賢くなる

 

 皆さん、この場で何回も言っていますが、BLENDに挙げますので、ぜひ、読み返してくださいね。皆さんのこれからの前を向いた生活の中で、指針(取るべき態度や進むべき方向を示す方針)となる表現があったらうれしいです。

 (中略)

 このスライドも入学前に、学校説明会の中でいったことです。皆さんが、この東京女子学院で生活する究極の目標は「自分らしさを追い求め、 自立した学習者」になることだと思います。そして “私らしい私 君らしい君”になるためには、今、話をした「グローバルな人になる」ことと共通性がたくさんあると思います。以上で5月の講堂朝礼の話とします。

ハナミズキがとても”かわいい”時期になりました。グラウンドの最先端で、白、紅、ピンクと並んで咲いています。 ハナミズキがとても”かわいい”時期になりました。グラウンドの最先端で、白、紅、ピンクと並んで咲いています。

 皆様ごきげんよう。三寒四温の“春休み”から、すっかり暖かくなりました。4月、 6日(木)始業式7日(金)高校入学式(午前)、中学入学式(午後)滞りなく、進めることができました。そう、令和5年度がスタートしました。本年度もどうぞよろしくお願いいたします。
 改めまして、東京女子学院中学校高等学校 校長野口潔人でございます。本校に着任して6年目を迎えました。
 今年度、最初のブログです。初めて、「校長ブログ」にアクセスしてくださった方、誠にありがとうございます。いつも・いつも、長い・長い文章を載せています。時々、「校長の話は、長い。…が(ちょっと)おもしろい」といった方がいらっしゃいますので、勝手に自己満足に浸っているものです。どうかよろしくお願いいたします。

 早速ですが、6日の始業式の式辞、7日の入学式の式辞を載せさせていただきます。(中学校の入学式は「金子みすゞ」の詩を、高校生の入学式では式辞の中に(おきて破り?の)音楽を入れて、新入生やその保護者の方々をびっくりさせてしまいました。お時間がありましたらお読みくださいね。

 

令和5年度 始業式 式辞     
                      校長 野口潔人

 新2・3年の皆さん、ごきげんよう。お久しぶりですね。春休み中元気に過ごしていましたでしょうか?
新年度、令和5年度が始まりました。今日は二つ話をします。

ひとつめ、「形のある成果と形に表れない成果」というテーマで話をしたいと思います。

これを見てください。この冊子は、この春卒業した高校生のフードカルチャーコースの生徒たちが「卒業研究」として制作したものです。実は、今ここにいる高校3年生で3回目の卒業生になります。1年目は調理室で卒業研究のプレゼンをやりました。2年目は、プレゼンをした上に、それをこのように形にしました。私が読んで、ちょっと面白い発想だなと思う内容を紹介しますね。

氏名

テーマ

コメント

A

食欲と色の関係について

「美味しさ」は87%が視覚に影響

水×ダイエット

水の味が違うことに驚いた

ディズニーフード(チュロス)はおうちで再現できるか

コロナや部活等の忙しさで、ディズニーに行けないので、「気分だけでも味わいたい」と思った。

スポーツをしている人向けのクッキー

スポーツをしている人にとって「罪悪感の無い」お菓子を作りたい

親子で学べる教養絵本~季節の行事と離乳食~

好奇心をもとに探究する重要性を知った

どうですか、皆さん。面白いと思いませんか?ただ、今日私は単にフードカルチャーコースのやっていることをアピール(宣伝)しようとしたわけではありません。 
 中学生を含めて、この1年間で学ぶたくさんのことを「形」として残せるようにしておくことはとてもよいことですよ、と言いたいのです。SAコースの「留学先での報告書」などは、その都度の積み重ねになる。「卒業研究」というテーマがあればもちろんよいですが、日ごろ使っている「ノート」でもよいですし、タブレットに残しておくデータでもよい。そして、そのことによって、「形に残る成果」だけでなく「形にならない成果」も皆さんの頭(脳)や身体・感覚の中に作られていくのですね。私は、そのことがまさに“学力”というのだと思います。「あれ?これ、なんだろう、どういうことだろう?」と思う「興味・関心・疑問」が「意欲・情熱」そして「探究心」につながっていくのですね。皆さん、どうか、たくさんの「形のある成果」が出るとよいですね。そしてそこから、「形にならない成果」もたくさん出せるようになるこの令和5年度になってほしいと思います。皆さん、たくさんたくさん学習しましょう!
 ふたつ目の話、新3年生は2度目の話になります。「リセットReset)」&「リスタート(Restart)」の話です。リセットとは、パソコンなどの機械をセットし直すことですね。しかし、「機械」だけでなくその人の今までの気持ちや他人との人間関係を改めて、初期の状態に戻すことにもこの言葉が使われますね。
 きっと今日は多くの中学校で、そして高等学校で、「気持ちを新たに」といったことが、今日この時間に話されているでしょう。「学校文化」のよいところは、適切で必要な時期に「リセット」ができることです。学習面や生活面で良くなかったことや悪かったことがすくなからずあったと思います。人によって、時には「学校行きたくないな」と思うことが多かれ少なかれ、あるものでしょう。それが毎日だった人もいるかもしれない・・。友達との関係だって、うまくいかない時もあったでしょう。 

 皆さん、春休みは終わりました。今、君の気持が後ろ向きであったらリセットし、今日(4月6日)からリスタートを切ってください。皆さんにはきっとそれができる。今、学級編成などで「不安な気持ち」になっている人…「左胸の少し上あたり」に「リセットボタン」があります。 どちらかの手を握って親指を突き立ててください。その突き立てた親指で「リセットボタン」を押してみてください。

それでも、暗い気持ちが解消されなかったら・・・・新しい先生方に相談してください。私は、新しい先生方をお迎えすることは、「より良い出会いのチャンス」ととらえています。皆さもぜひそのように思ってくれたらいいな、と思っています。  
 皆さん、今日また新しいクラスや学年が始まります。私は、皆さんの授業への取り組みや部活、生徒会などでの生き生きした姿を見ることができるのにわくわくしています。すべての生徒たちが、分け隔てなく、「明るく元気に楽しく」生活できる1年間であってほしいと思います。

これで始業式の話を終わります。

 

令和5年度 中学校 入学式 式辞

 

 散りゆく桜を惜しみながらも、グラウンドの最前列のハナミズキがかわいらしく咲き始めました。そう、穏やかな光に映える春を迎えました。テニスコートの青色、グラウンドの緑色にも負けず、「この時期こそ」とばかりに、チューリップそしてパンジーがあざやかに咲き誇っています。・・・そして、学校や社会全体が気持ちを新たにできる季節が廻ってきました。

 新1年生の皆さん、入学おめでとうございます。一人ひとりの元気でさわやかな返事に「東京女子学院での中学校生活をがんばるぞ」の意気込みが感じられました。

 PTA会長 ○○様、後援会長 □□様、そして同窓会長 △△様には公私ご多用のところ、本校の入学式にご臨席を賜り、厚く御礼を申し上げます。

 さて、新入生の皆さん。今日は一遍の詩を紹介して、入学式の式辞にしたいと思います。これは、詩の作者が女性なので、私が詠むよりも、聞きやすい女性の先生に詠んでいただきます。

 わたしが両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、 
 飛べる小鳥はわたしのように、地面(じべた)をはやくは走れない。
 わたしがからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、
 あの鳴る鈴はわたしのように、たくさんなうたは知らないよ。
 鈴と、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。
 The bell and the bird and I– All are different and all are good.

  この詩は、昭和時代の初期に活躍した「金子みすゞ」という人の「わたしと小鳥と鈴と」という詩です。小学校の教科書にも出てくるもので、たぶん皆さんもどこかで耳にしたことがあるかもしれません。そして、最後の「みんなちがって みんないい」というフレーズがとてもなじみ深く、印象的です。 

 数年前のある新聞の夕刊に、「記事」として掲載されました。

「みすゞの愛情 米(アメリカ)にもこだま “排除”広がるなか やさしさに共感」

という見出しで、アメリカでみすゞの「詩の絵本」が出版され、共感を得ている、といった記事でした。今、世界は人種や宗教等様々な要素によって、人を差別したり、排除したりする傾向が強くなってきているといわれています。そのような中で、金子みすゞの「国や時代を超えて、誰の心にも響く詩(うた)、分かりやすい言葉の窓を開けると、大きな宇宙が見えると感じた。」と評価されているのです。 
 新入生の皆さん。「わたし」と「小鳥」と「鈴」はいうまでもなくみんな違います。みすゞは「みんなちがってみんないい」と究極のことばで締めくくっています。世界中の人たちが「わかりきっている」と言えたら、この世には戦争も差別も、そして“いじめ”もないはずです。
 しかし、私たち「人間同士」でも、いや人間だからこそ「みんなちがって みんないい」そのようにいえないでしょうか・・・。人は、特に子どもは、「自分と同じようでない人」を、しばしば比べ「あの子は私たちと違う」「あの子は変な子」と否定的に言います。
 でも、新入生の皆さん。皆さんは、中学生になるのです。「いろいろな人がいて、楽しい」「自分と違う人がいて、ワクワクする」そんな中学校生活を送れないだろうか・・。「みんなちがって みんないい」この言葉は、難しい言葉でいえば、「多様性の尊重」と言います。実は、今の社会の中で一番求められているものなのですよ。
 私は、素直にまた心躍らせながら、人間の「多様性」を肯定的に受け入れる事ができる人になれるよう、この東京女子学院での、女子校での、生活で成長していくことを心から願っています。
 新入生の皆さん、さらに言いますね。中学生になったのだから、他人の、自分と違うところを否定的に比べるのではなく、ぜひ、「自分自身の今を、昨日の自分、昨日までの私」と比べて欲しい。そうやって「今の自分」を評価して欲しい。そう思うのです。つまり、6年生の時、勉強でうまくいかなかったけど、中学生になったら集中してがんばれるようになった。昨日は自分の考えをうまく伝えられなかったけど、相手の気持ちになったら、上手に伝えられるようになった・・。というわけです。簡単な言葉でいえば、「向上心」です。
 新入生の皆さん。皆さんは、公立中学校のように地域の2~3校の小学校から集まったのではなく、ほとんど違う小学校での生活を送ってきました。一人ひとり12年間の歴史をもって本校で出会ったのです。
 そして入学した皆さんの中には、いろいろな人がいる。スポーツが得意な人、読書が大好きな人。おしゃべりが大好きな人、あまりおしゃべりが上手でない人、大勢でいることが好きな人、一人でいることが好きな人…。「みんなちがってみんないい」そう、とてもいいことではないですか!
Every one is different, every one is special. 
「多様性」と「向上心」このことをぜひ頭に入れて、中学校生活を送ってください。 
 保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。今日からお子様の中学校生活が始まります。小学校6年間の「児童としての生活」と、中学高校6年間の「生徒としての生活」は同じ年月にもかかわらず、3倍も4倍もの様々な成長があります。
 保護者の皆様は小学校時代の「子育て真っ盛り」の生活から、子どもたち自身による「自分育ち」を少しずつ側面から見守るといった「子育てのスタンス」となるでしょう。その意味で、小学校の時以上に学校とご家庭が「子どもの健全な成長」という同じ目標をもっていきたいと思います。そして、ぜひ小学校の時と同様に、笑顔で送り出し、学校から帰ったら学校であったことをたくさん聴いてあげてください。
 私はこの学校を “まじめ”と“誠実”に価値をおける学校にしたい。どんな場面でもまじめにコツコツ取り組む生徒を評価したい。そして、生徒一人ひとりの“自分らしさ”を大切にした教育活動を進めていきたい。そのように思っています。新1年生として、学校生活に慣れ、早く「東京女子学院大好き」になれるよう、教職員一同全力を尽くして教育にあたります。安心してお子様をお預けいただくようお願いいたします。
 新入生の皆さん、今日から中学生です。新入生の皆さん、一緒にがんばりましょう。新入生の、そして全校生徒の、生き生きした毎日の生活の充実を願って、私の式辞といたします。

          令和5年4月7日 東京女子学院中学校校長野口潔人

令和5年度 高校入学式 式 辞

 散りゆく桜を惜しみながらも、グラウンドの最前列のハナミズキがかわいらしく咲き始めました。そう、穏やかな光に映える春を迎えました。テニスコートの青色、グラウンドの緑色にも負けず、「この時期こそ」とばかりに、チューリップそしてパンジーがあざやかに咲き誇っています。・・・そして、学校や社会全体が気持ちを新たにできる季節が廻ってきました。
 高校新1年生の皆さん、そして保護者の皆様、ご入学おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。

本日は、PTA会長 ○○様、後援会長 □□様、そして同窓会長 △△様には公私ご多用のところ、本校の入学式にご臨席を賜り、厚く御礼を申し上げます。
 さて、新入生の皆さん、今日は、私が最近何度も聞いているお気に入りの“歌”を紹介して式辞にしたいと思います。
早速、曲を聴いてください。 (曲を流しました)
 はい、ありがとうございました。この曲、ある金融グループのテレビCM(コマーシャル)で使われました。CMにはいくつかパターンがあってそのひとつは、シンガーソングライターの岡崎体育さんとラグビー選手稲垣啓太さんが「高校の同級生、ラグビー選手」の設定になっています。岡崎さんは、そのグループの会社に勤め、顧客との交渉や自分のノルマを奮闘しながらこなしていく。稲垣さんはラグビーの道を続け黙々と練習をこなしていくシーンが、短いながらストーリー性のあるものになっています。そしてそのバックミュージックとして流れるのが、先ほどの「深夜高速」という曲、岡崎さんが歌います。この「生きててよかった」を連呼する前後にこのような歌詞があります。

青春ごっこを今も  続けながら旅の途中
ヘッドライトの光は 手前しか照らさない
真暗な道を走る   胸を高ぶらせ走る
目的地はないんだ  帰り道も忘れたよ

夢の中で暮らしてる 夢の中で生きていく
心の中の漂流者   明日はどこにある?
十代はいつか終わる 生きていればすぐ終わる
涙なんかじゃ終わらない 忘れられない出来事
ひとつ残らず持ってけよ どこまでももってけよ

 新入生の皆さん、この「生きててよかった」の表現は、「生死の淵に追い込まれた」とか「九死に一生を得た」時につかうインパクトの強いことばのように聞こえます。しかし、私はこのことばから、そしてこの歌を聴きながら、真っ先に若さゆえの不安感と高揚感を聞き取り、感じました。青春期、目の前の課題をどうにかしなければならないがどうしようもない。何かを始めなければいけないが、なかなか一歩が踏み出せない。様々な葛藤ともどかしさをもちながら社会人になっていく、そんな思いを二人の姿勢の中に感じたのです。そして、聴けば聴くほど、若者がもがきながら日々をこなし、のりこえていく姿を素敵だなと思いました。そして「生きててよかった」の連呼を聞いたとき、高校生になった皆さんたちへの激励の言葉として使いたいと思ったのです。歌は「生きててよかった」を数回叫び、そのあとに「そんな夜を探してる」「そんな夜はどこだ」と模索し続けます。つまり、「生きていてよかった」という実感が得られていない、ということが聞き取れるわけです。
 改めて、新入生の皆さん。皆さんは中学校では体験したことのないような「不安感」をもったり、どうしたらよいかわからないという「葛藤」を味わうことが高校生活の中ではたくさん出てきます。時には投げやりになってしまうことがあることがあるかもしれない。それは、一歩一歩、大人に近づいていくからなのです。皆さんの高校生活が「そんな夜を」探し続ける日々になるかもしれない。それは、一日一日大人になっていく証拠なのです。私は、「生きててよかった」ということを探し続けることこそが、人を、若者を強くしていく、そう思うのです。
 CMのシーンに戻ります。同級生だった二人、一人はスーツ姿で、一人はラグビーの練習着姿でグラウンドのゴールに向かってゆっくりと走っていきます。そこに「ともに 前へ」ということばが浮き上がって、CMの映像は終わります。
 新入生の皆さん、様々な思いをもった皆さんがここに集いました。皆さんは、全員この東京女子学院に興味をもち、受験し入学した。君は、単願で本校を希望した。別の君は、第一志望ではなかった。でも結果本校に入学し今ここにいる。
 どのような思いやいきさつがあっても、最後に、自身で決めましたね。そして、この出会いを、自分からよりよい出会いにしようとしていますね。私はそう確信していますよ。
 保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。今日からお子様の高校生活が始まります。高校生活は、まず学習生活。学習を極めることが何より大事です。その自覚をお嬢様の一人ひとりがもてるよう、皆様と学校が思いを共有させていただきたいと思っております。我が子は我が親の生き方を冷静に見習っていく時期でもあります。そのような意味でも学校とご家庭が「子どもの健全な成長」という同じ目標をもち、ご家庭でのサポートをお願いいたします。早く「東京女子学院大好き」になれるよう、教職員一同全力を尽くして教育にあたります。安心してお子様をお預けいただくようお願いいたします。
 新入生の皆さん、皆さんの中には、「早く大人になりたい」人がいる。いや「大人になりたくない」人もいる。毎日、「楽しく学習している人」もいれば人によっては「何にもいいことない」と思ってしまう日々があるかもしれない。そのような時、ここに集う生徒がいつも「生きててよかった」を探し続けるとともに「ともに、前へ」Let’s shape our future together.そのようなスタンスで毎日を送っいくことを期待しています。新入生の皆さん、一緒にがんばりましょう。 以上で私の式辞といたします。

令和5年年4月7日東京女子学院高等学校 校長 野口潔人

校門入ってすぐの「こぶし」です。白い花びらが一気に咲きだします。「ソメイヨシノ」の前に楽しませてくれます。 校門入ってすぐの「こぶし」です。白い花びらが一気に咲きだします。「ソメイヨシノ」の前に楽しませてくれます。

 皆さんごきげんよう。三寒四温、春らしい日が1日分ずつ増えているようです。年度末のいそがしい中にもウキウキしますね。
 本日(3月12日)高校の入学準備説明会がありました。私は、挨拶の中で、入学予定の皆さんに「君の行く学校が一番よい学校」「私のこれから行く学校が、私が一番成長できる学校」そう思って入学式を迎えてください。と話をしました。さらに、「本日、春休み中の課題が出されると思います。中学校でのまとめの様々な行事とともに、4月の入学式まで計画的にこなしていってほしいと思います。加えて私から1つ課題を出させていただきます。”東京女子学院での4月からの生活を漢字2字以内で表してください”です。」と私なりの課題を出しました。どうぞ提出自由ですが、高校生活の意欲をポジティブにとらえてほしいと思います。
 保護者の皆様にも私なりのメッセージを送らせていただきました。「3月11日、保護者の皆様は、あの日あの時、何をしていましたか?」「お嬢様は、たぶん記憶がないと思いますが…。保護者の皆様にとっては、あの日あの時のお嬢様の無事・安全を確認することが”子育て”の始まりのひとつであれば、お嬢様とともにあるこの高校3年間は、子育てならぬ”親育ち”の終わりの3年間、ぜひポジティブにとらえて、お嬢様とともに楽しい3年間にしていきましょう。」と申し上げました。

私のあの日あの時をブログに挙げます。どうぞお時間のある方はお読みくださいませ。

2020年3月12日の「校長ブログ」です。

皆さんごきげんよう。3月11日、いうまでもなく東日本大震災の日。私としては、この職に就いている限り・・・鮮明に思い出す1日。9年前になりますね。今回は、あの日の様々なことを振り返り、今後の来るべき大地震に備える中高生を預かる学校としての姿勢を確認したいと思います。

 私は、当時、在籍児童1000人の某区小学校の校長でした。“あの日”は確か金曜日、平成22年度最後の「校長会」でした。午後2時46分、バスを降りて会場に向かって2つ目の信号を渡った瞬間、“ぐらッ”ときました。近くにいた保育園帰りの母子が「わぁ~」と言ってその場に座り込み子どもは泣き始めました。私が小さいころ、私の祖母が“関東大震災(1923年9月1日)”の経験を「地面が波打っていた」と表現していましたが、確かに、コンクリートの道路がウエーブして、その上で停まっている車が上下に揺れている。私はなぜか、(運動会の障害物競走のように)とび上がったりしゃがんだりしながら、会場に向かって走り出していました。あとになって、「地震で家が揺れるのは、あれだけ地面が波打つから揺れるんだ」と、あたりまえのことを目の前で確認した感がありました。

 校長会の会場に着いた瞬間、若手校長である私をいつも気にかけてくださっていたベテラン校長会長が、「大変な地震だ、野口さん、会議なんかやっていられね~よ」と言いながらコートを手にもって自分の学校に戻っていきました。次から次へと皆さん(先輩校長たち)が、タクシーを拾うために大通りに・・。「そっか、校長会も自然解散だな」・・・私も、運よくタクシーに乗ることができました。そのタクシーの中でも揺れるわ揺れるわ・・・余震ですね。渋滞の大通りも、運よく地元のタクシーで裏道・裏道を通り、1000人が避難している“校庭”にたどり着きました。たぶん地震が起きてから30分ぐらいだったと思います。

 私が学校に戻った時、児童たちは整然と並び、しゃがんで待っていました。ベテラン副校長が、教員を指示し、毎月実施している“避難訓練”の通りに建物(校舎)から離れて待機させていたのです。1年生から6年生まで、一斉にかぶっていた防災頭巾が印象的でした。自慢することではありませんが(小学校では“当たり前”なので)発災して(避難指示が出て)校舎の外に出るのに(避難するのに)いつも4分以内と決めていましたので、たぶんその通りに近い避難ができたのでしょう。

 “校長”が戻り、教員もホッとしたのか、少し安どの表情を浮かべる者もいました。私は“朝礼台”の周りに教職員を集め、無事に避難できたことにお礼を言い、現在の状況と今後の対応を確認しました。そして、児童への指示を私が朝礼台の上に立って簡易マイクで連絡しました。

 まず、あの日はとても寒かったですから、学級学年ごとに(教員が校舎に入っても大丈夫かの確認をして・・・・あれだけの揺れでしたが、いくつかの箇所の何かが“落ちた”程度で人的な被害はありませんでした。)いったん児童を校舎に戻し、帰りの荷物をもって、慌てずに体育館フロア(1階のみの平屋)に再集合、そして迎えに来てくださった保護者に引き渡す、ということでした。そういえば・・・再集合(避難)するために、体育館に向かっていた時、ある6年生の男子児童が私のところによってきて・・・こう言いました。「校長先生、地震恐かったけど・・・だけど、(朝礼台近くで話をしている姿や私が朝礼台の上でマイクを握って話している姿の)先生たちはかっこよかったよ」と言ってくれました。彼が、何をもってかっこよかったと表現したのかは分かりませんし、聞き返しもしませんでしたが・・・確かに、言われて悪い気分ではなかった。9年たってもこの言葉は忘れないですね。

 その後の対応はいたって簡単、とにかく保護者に迎えに来てほしい旨緊急連絡アプリで送信し、保護者が迎えに来たら引き渡す、ということです。それを全職員で1000人分やりました。アプリ送信の前に迎えに来た保護者も大勢いましたが、結局は、(校長の)私だけ残って、最後の3年生の男子を引き渡したのが夜の12時30分でした。保護者の方は東京都水道局の方(公務員)でした。

 私は、その夜ようやく在京の家族に連絡が取れました。妻も娘も家に戻れず、勤務先やお友達の家に泊めてもらうことで安心できたのですが、一番揺れの大きかった東北、仙台の大学にいた息子との連絡が取れず、一睡もできずに、携帯電話をかけてもかけても、つながらなかったあの日の夜は忘れません。まさか海辺近くのサッカーグラウンドで練習中、今テレビで見ている津波に飲み込まれてしまったのではないか・・という不安感が、寒い主事室(用務員室・・・結局私はその夜は学校に泊まった)をさらに寒くさせていました。そして、翌日、帰宅してシャワーを浴び、風呂場から出てきた瞬間の電話の音は、やはり忘れられません。息子からのいつも通り拍子抜けした「あぁ~無事だよ」の声に思わずどっと涙が出ました。・・・・

 

 相変わらず、長々と、書きたいことを書いて・・。申し訳ありません。

 私は、被災にあって亡くなったり、被害にあった身内がいたわけでもありませんし、そのような知り合いさえいません。直接間接の被害もなかった一方で、それでもあの時の怖かった思いと家族がどうなっているかの心配を忘れることはできないし、忘れてはいけない。加えて、日中学校で中高生に学習生活を送らせている立場として、あの時どのように対応していったのか、同じようなことがあった時どのような対応をしなければならないのかを常に考えていなければなりません。平成22年度(平成23年3月)に小学校6年生だった彼ら彼女らは、すでに社会にでて職業生活を始めている人もいるでしょう。「地震恐かったけど、先生たち、かっこよかったよ」と言ってくれた彼は、今“弱い人たち”に対してかっこよく生活しているだろうか。私たち大人は若者に対して職業人としてのロールモデルになっているだろうか。この日を迎えるたびに、自分自身のこれからのあるべき姿を見直しているのです。