立冬も過ぎ、朝夕の冷え込みも日一日と厳しくなってきました。昨日12日は校舎4階から、西方に夕焼けを背景に秀麗な富士山の姿を見ることができました。
本校があるこの地は、校歌にも歌われているように、芙蓉が丘と呼ばれています。芙蓉峰とは富士山の雅号です。創立から80余年、本校に集った生徒が皆、見てきた光景です。

浮世絵作品の紹介⑥
「両国花火」

 現在も夏の最大の行事である「隅田川花火大会」。その前身である両国の花火がこの浮世絵のテーマです。画面下の両国橋は、武蔵国と下総国の2つの国に架けられていたことからその名が付けられ、当時この場所は江戸屈指の繁華地でした。放物線を描き落ちていく花火と、爆発した花火が星のように輝き、夜空明るく照らし出している表現は今にも音が聞こえてきそうです。
 花火は、納涼の一大イベントとして、川開きと川仕舞いに行われていました。現在でも川に納涼の屋形船が所狭しと浮かび、昔も今も変わりません。
 当時は、花火の打ち上げを両国橋上流が「玉屋」、下流を「鍵屋」が担当していたことから、両国橋ごしに左岸を望むこの花火は「鍵屋」のものと考えられるそうです。 
 花火といえば、夏。しかしこの作品は川仕舞いのようすのため、シリーズをセットで販売するためにつくられた目録では、秋に分類されています。

 

浮世絵で下町を散策してみませんか  ~シリーズ第2章(通算No.6)

 歌川広重が上野・浅草などの繁華地を描いた作品(「名所江戸百景」)から春夏秋冬各1点の4図を展示しました。
 四季の変化は言うまでもなく日本人の感性に大きな影響を与えており、広重の浮世絵には単なる場所だけでなく、移り変わる季節の美しさが表現されています。ご来校の際にご覧ください。
 『名所江戸百景』のシリーズは広重が晩年、安政3年に制作した連作で、多色刷りの技術も高まり、風景画としての完成度が高い作品です。出版の前年、安政2年に江戸は大きな地震と火災により甚大な被害を受けました。被災した江戸の変化を目の当たりにして広重は何を思ったでしょう?108枚におよぶ連作には、美しさとともに江戸市中や、多くの人々を偲ぶ気持ちが込められていたかもしれません。シリーズ刊行と同時に広重は剃髪しました。ちなみに108の数字は、煩悩の数と同じですが、1年の移り変わりを示す12ヶ月と二十四節気・七十二候の合計です。
 画面に刷られた画題は、複数の地名や言葉を並べたものが多く、言葉の間に「の」「より」「と」「を望む」などを補うと分かりやすくなります。