「20日間チャレンジ」「感染症」を見つめる(後編)

スクールライフ

前回に引き続き、ボッカチオの『デカメロン』を取り上げます。かなりリアルに描かれていますが、これは当時を生きたボッカチオならではの迫真の描写です。

(引用)この病気(ペスト)の勢いを前にしては、医術も薬術もおよそ何の価値をも持たず、何の効果をも発揮できないように思われた。それどころか、(…)結局適切な措置がとれず、治癒した人間はごく稀であり、ほとんど全員が、遅い早いの差はあれ、先に述べた徴候を見せてから三日以内にろくに熱も出さずに、またそれ以上に症状が進んだとも見えないのに、次々に死んでいった。(…)

(…)零細な人々や、またおそらく大多数の中流の人々には、より悲惨な状況が待ち受けていた。なぜなら彼らの多くは、あるいは虚しい期待を抱きながら、あるいは貧困ゆえにそれぞれの家のなかに引きこもり、隣りあって生活していたため、日に何千と病んでゆき、何の世話も援助も受けられずに、逃げ場さえほとんど失って、等しくみな死んでいったからだ。そして昼夜を分かたずに街頭で息絶える者の数は知れず、また家のなかで息を引き取る者の数はさらに多かったが、彼らは腐敗した身体の臭いによってやっと己(おのれ)の死んだことを隣人に知らせるのだった。(…)

【ボッカッチョ『デカメロン』(河島英昭訳、講談社版世界文学全集4、1989年)】

『デカメロン』の執筆動機として、ボッカチオ自身の「ペストからの心理的逃避」が指摘されることもあります。ボッカチオが生きた時代においては、「感染症」の原因や治療法が不明瞭であり、パニックが発生し、ユダヤ人や「魔女」とされた人々が迫害を受けるなど、差別が平然と行われていました。一方、2020年現在、私たちはそもそもの原因などについて科学的に理解する状況に在りますが、それにもかかわらず、心無い「噂」、「差別」が今この瞬間も行われているのも事実です。SNS上だけではなく、現実にも……。

「歴史は繰り返す」。改めてその言葉を胸に、心を落ち着けて現状を見つめ、「記憶」すること。「あの時、私は中高生で……」なんて、将来自分の後の世代に伝えることができるよう、健康で冷静に一日一日を過ごすことが、私たちに求められているのかもしれません。

担当:R.A.

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