校門入ってすぐの「こぶし」です。白い花びらが一気に咲きだします。「ソメイヨシノ」の前に楽しませてくれます。 校門入ってすぐの「こぶし」です。白い花びらが一気に咲きだします。「ソメイヨシノ」の前に楽しませてくれます。

 皆さんごきげんよう。三寒四温、春らしい日が1日分ずつ増えているようです。年度末のいそがしい中にもウキウキしますね。
 本日(3月12日)高校の入学準備説明会がありました。私は、挨拶の中で、入学予定の皆さんに「君の行く学校が一番よい学校」「私のこれから行く学校が、私が一番成長できる学校」そう思って入学式を迎えてください。と話をしました。さらに、「本日、春休み中の課題が出されると思います。中学校でのまとめの様々な行事とともに、4月の入学式まで計画的にこなしていってほしいと思います。加えて私から1つ課題を出させていただきます。”東京女子学院での4月からの生活を漢字2字以内で表してください”です。」と私なりの課題を出しました。どうぞ提出自由ですが、高校生活の意欲をポジティブにとらえてほしいと思います。
 保護者の皆様にも私なりのメッセージを送らせていただきました。「3月11日、保護者の皆様は、あの日あの時、何をしていましたか?」「お嬢様は、たぶん記憶がないと思いますが…。保護者の皆様にとっては、あの日あの時のお嬢様の無事・安全を確認することが”子育て”の始まりのひとつであれば、お嬢様とともにあるこの高校3年間は、子育てならぬ”親育ち”の終わりの3年間、ぜひポジティブにとらえて、お嬢様とともに楽しい3年間にしていきましょう。」と申し上げました。

私のあの日あの時をブログに挙げます。どうぞお時間のある方はお読みくださいませ。

2020年3月12日の「校長ブログ」です。

皆さんごきげんよう。3月11日、いうまでもなく東日本大震災の日。私としては、この職に就いている限り・・・鮮明に思い出す1日。9年前になりますね。今回は、あの日の様々なことを振り返り、今後の来るべき大地震に備える中高生を預かる学校としての姿勢を確認したいと思います。

 私は、当時、在籍児童1000人の某区小学校の校長でした。“あの日”は確か金曜日、平成22年度最後の「校長会」でした。午後2時46分、バスを降りて会場に向かって2つ目の信号を渡った瞬間、“ぐらッ”ときました。近くにいた保育園帰りの母子が「わぁ~」と言ってその場に座り込み子どもは泣き始めました。私が小さいころ、私の祖母が“関東大震災(1923年9月1日)”の経験を「地面が波打っていた」と表現していましたが、確かに、コンクリートの道路がウエーブして、その上で停まっている車が上下に揺れている。私はなぜか、(運動会の障害物競走のように)とび上がったりしゃがんだりしながら、会場に向かって走り出していました。あとになって、「地震で家が揺れるのは、あれだけ地面が波打つから揺れるんだ」と、あたりまえのことを目の前で確認した感がありました。

 校長会の会場に着いた瞬間、若手校長である私をいつも気にかけてくださっていたベテラン校長会長が、「大変な地震だ、野口さん、会議なんかやっていられね~よ」と言いながらコートを手にもって自分の学校に戻っていきました。次から次へと皆さん(先輩校長たち)が、タクシーを拾うために大通りに・・。「そっか、校長会も自然解散だな」・・・私も、運よくタクシーに乗ることができました。そのタクシーの中でも揺れるわ揺れるわ・・・余震ですね。渋滞の大通りも、運よく地元のタクシーで裏道・裏道を通り、1000人が避難している“校庭”にたどり着きました。たぶん地震が起きてから30分ぐらいだったと思います。

 私が学校に戻った時、児童たちは整然と並び、しゃがんで待っていました。ベテラン副校長が、教員を指示し、毎月実施している“避難訓練”の通りに建物(校舎)から離れて待機させていたのです。1年生から6年生まで、一斉にかぶっていた防災頭巾が印象的でした。自慢することではありませんが(小学校では“当たり前”なので)発災して(避難指示が出て)校舎の外に出るのに(避難するのに)いつも4分以内と決めていましたので、たぶんその通りに近い避難ができたのでしょう。

 “校長”が戻り、教員もホッとしたのか、少し安どの表情を浮かべる者もいました。私は“朝礼台”の周りに教職員を集め、無事に避難できたことにお礼を言い、現在の状況と今後の対応を確認しました。そして、児童への指示を私が朝礼台の上に立って簡易マイクで連絡しました。

 まず、あの日はとても寒かったですから、学級学年ごとに(教員が校舎に入っても大丈夫かの確認をして・・・・あれだけの揺れでしたが、いくつかの箇所の何かが“落ちた”程度で人的な被害はありませんでした。)いったん児童を校舎に戻し、帰りの荷物をもって、慌てずに体育館フロア(1階のみの平屋)に再集合、そして迎えに来てくださった保護者に引き渡す、ということでした。そういえば・・・再集合(避難)するために、体育館に向かっていた時、ある6年生の男子児童が私のところによってきて・・・こう言いました。「校長先生、地震恐かったけど・・・だけど、(朝礼台近くで話をしている姿や私が朝礼台の上でマイクを握って話している姿の)先生たちはかっこよかったよ」と言ってくれました。彼が、何をもってかっこよかったと表現したのかは分かりませんし、聞き返しもしませんでしたが・・・確かに、言われて悪い気分ではなかった。9年たってもこの言葉は忘れないですね。

 その後の対応はいたって簡単、とにかく保護者に迎えに来てほしい旨緊急連絡アプリで送信し、保護者が迎えに来たら引き渡す、ということです。それを全職員で1000人分やりました。アプリ送信の前に迎えに来た保護者も大勢いましたが、結局は、(校長の)私だけ残って、最後の3年生の男子を引き渡したのが夜の12時30分でした。保護者の方は東京都水道局の方(公務員)でした。

 私は、その夜ようやく在京の家族に連絡が取れました。妻も娘も家に戻れず、勤務先やお友達の家に泊めてもらうことで安心できたのですが、一番揺れの大きかった東北、仙台の大学にいた息子との連絡が取れず、一睡もできずに、携帯電話をかけてもかけても、つながらなかったあの日の夜は忘れません。まさか海辺近くのサッカーグラウンドで練習中、今テレビで見ている津波に飲み込まれてしまったのではないか・・という不安感が、寒い主事室(用務員室・・・結局私はその夜は学校に泊まった)をさらに寒くさせていました。そして、翌日、帰宅してシャワーを浴び、風呂場から出てきた瞬間の電話の音は、やはり忘れられません。息子からのいつも通り拍子抜けした「あぁ~無事だよ」の声に思わずどっと涙が出ました。・・・・

 

 相変わらず、長々と、書きたいことを書いて・・。申し訳ありません。

 私は、被災にあって亡くなったり、被害にあった身内がいたわけでもありませんし、そのような知り合いさえいません。直接間接の被害もなかった一方で、それでもあの時の怖かった思いと家族がどうなっているかの心配を忘れることはできないし、忘れてはいけない。加えて、日中学校で中高生に学習生活を送らせている立場として、あの時どのように対応していったのか、同じようなことがあった時どのような対応をしなければならないのかを常に考えていなければなりません。平成22年度(平成23年3月)に小学校6年生だった彼ら彼女らは、すでに社会にでて職業生活を始めている人もいるでしょう。「地震恐かったけど、先生たち、かっこよかったよ」と言ってくれた彼は、今“弱い人たち”に対してかっこよく生活しているだろうか。私たち大人は若者に対して職業人としてのロールモデルになっているだろうか。この日を迎えるたびに、自分自身のこれからのあるべき姿を見直しているのです。

「冬来たりなば 春遠からじ」本校エントランスの大きな”梅花”の生け花に迎えられて、卒業式が挙行されました。マスクもいよいよ”任意”になるようです。3年間、歌わなかった本校の(素敵な)校歌、歌詞を見ながらの小さな歌声、そのさみしさもある中でピアノ伴奏で終わった昨年度までよりも、少しコロナ前を取り戻しました。 「冬来たりなば 春遠からじ」本校エントランスの大きな”梅花”の生け花に迎えられて、卒業式が挙行されました。マスクもいよいよ”任意”になるようです。3年間、歌わなかった本校の(素敵な)校歌、歌詞を見ながらの小さな歌声、そのさみしさもある中でピアノ伴奏で終わった昨年度までよりも、少しコロナ前を取り戻しました。

皆さんごきげんよう。久しぶりのブログ更新です。お隣のお寺の梅花が満開になりました。校内の早咲きの河津桜も…。先日、高校卒業式を挙行しました。前日の予行で全校生徒が一堂に会し、そこでも最後の校長からのスピーチをしました。

 

式辞

 

 はじめに・・・PTA会長 ○○様、同窓会会長 △△様には公私ご多用のところ、ご臨席賜り誠にありがとうございます。また物心両面にわたるご協力・ご援助に対し心より御礼申し上げます。 

 さて・・「冬来たりなば春遠からじ」ようやくそこここに春の気配を感じるようになりました。

 卒業生の皆さん。いきなりですが、3年前を思い出しましょう。中学校でまともな“卒業式”ができず証書だけを受け取って義務教育を終え、本校に入学しても“式”は行われなかった。しかも「Stay home」を2か月も強いられた。そんな3年間のスタートでした。

「There is always light behind the clouds.」

6月、梅雨に入っての「入学式」で私は今の言葉を紹介しました。このことば、世界中で愛され続ける大ベストセラー作家、ルイーザ・メイ・オルコットのことばです。今日は、このことばとオールコットの書いた小説「若草物語」をベースにした映画を取り上げて、私の式辞といたします。

 3年前の春休み、ある映画が封切り直前に、コロナのために延期されました。その映画とは「Story of My life」(私の「若草物語」)という映画です。

 実は、入学式でこの映画を話題にしようと思ったのですが、映画を見られなかったので、この有名なことばだけを紹介したのです。そして皆さんの“休校期間”が解けるころ、改めて封切りされたので、私にとってこの映画はとても印象深いのです。何と、その年のアカデミー賞の衣装デザイン賞を獲得しているのですよ。

 皆さんの中には、幼少期「若草物語」を楽しく読んだ人がいるかもしれません。アメリカ人にとってはこの物語が人生に寄り添うほどとても重要な作品で、クリスマスシーズンになるとテレビで放送される映画の必須作品のひとつです。

 それは1860年代、アメリカ南北戦争中のある家族「マーチ家」の四姉妹の物語です。長女メグは女優を夢見、次女ジョーは作家になりたい。三女ベスはピアノが上手いが病弱、そして四女エイミーは画家になりたい。日常生活のなかの他愛もない事で喧嘩したり、時には助け合ったり、“女の子”がそれぞれ“女性”に成長し、4人が4人とも個性豊かに、そして将来への葛藤を様々に持ちながらも、常にポジティブに生きようとし、めぐるチャンスを活かして夢を実現していくのです。三女のベスは病気がもとで若くして亡くなりますが、それでも自分の生を誰かのために全うしていく姿はとても感動を呼びます。はい、長々と映画の紹介をしました。

 卒業する皆さん。かなり時代遅れの言い方になりますが、この映画で描かれた時代は「女性は家事や育児だけをしていれば良いという時代」でした。その中での彼女たちの生き方の選択には実に現在に通じるものがあります。もちろん今は大きく変化し、例えば「夫婦別姓」の問題や「性差別やジェンダー平等」についても、今まさに大きな社会問題のひとつにさえなっています。今年度の本校のパンフレットには「Be  a  Global Citizen 国際社会に貢献できる女性へ」の“女性”を“ひと”とフリガナを振っています。

 改めて、皆さん、「Stay Home」で始まった高校生活が、3年の時を経て、マスクを取って生活できる日までもう少しとなりました。東京女子学院で6年間・3年間を送った皆さん姉妹たちが「マーチ家」の四姉妹のように次のステージで “女性”と書いて“ひと”と表現できるような一人ひとりの生活のスタンスをもってくれたら、と願うばかりです。

 映画の最初のシーンに戻ります。主役の次女ジョーはまさに作者オールコットを投影しているのですが、出版社に自分の作品をもっていき編集長に原稿を見てもらいます。いくつか注文を付けられますが、原稿を何とか買ってもらいます。女が走ることはふしだらだと言われていた時代、ジョーは喜び勇んで人ごみのなかを走り出します。女性らしいとか女性はこうであるべきなどという慣習を取っ払って、この時の喜び溢れる顔はとても素敵、まるで、雲の上の“青空”のような明るさを発揮するのです。皆さん、大学などの次のステージに行く前にぜひこの映画を見てほしい、そのように思います。

 改めて、私は皆さんには、折に触れて「真の自分らしさとは何か」とか「ポジティブに考える」ということを努めて訴えてきたつもりです。それは「悩み多き思春期」から「生き方を選んでいく青年期」のこれからの人生にとって一番大切なキーワードだと思うからです。これからの生活の中で人間関係等様々なことで、うまくいく時もあれば躓いてしまうこともある。いや、うまくいかないときが必ずある。しかし、

「There is always light behind the clouds.」

このことばを頭のどこかにおいて、自立した素敵な女性に成長しほしい。そう思います。

 保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。思えば、小学校からの12年間におよぶ「児童・生徒の保護者」を終わることに、一抹の寂しさとともに、お嬢様以上の感慨をお持ちなのではないでしょうか。しかし、「保護者」としてもひとつの区切りとはいえ、お嬢様が真に自立した成人女性になるには「大人の先輩」としての支えが必要であると思います。どうか、“我が娘”の卒業を祝うとともに「18歳成人」の在り方を見守っていただきたいと思います。

 そして、6年間・3年間、本校の取組に対して物心両面のご支援とご協力をいただきましたこと、改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

さて、卒業する皆さん、さあ、いよいよお別れです。

 皆さんは、「コロナ」のなかでのできることを工夫して精一杯やってきた。その自信と誇りをもって、次のステージで、自分らしさを発揮して活躍してほしい、人生百年時代の社会の中で、それぞれの持ち場で貢献してほしい、そう願っています。卒業する皆さん、最後の最後に・・ちょっとやそっとじゃへこたれない、落ち込まない、たくましく生きるタフな女性になりましょう。そして、お互いがんばりましょう。

卒業していく皆さん。いつまでも応援しています。

令和五年三月吉日 東京女子学院高等学校 校長 野口潔人

 

「卒業式予行」に際しての話

1 「予行」ということですが、「全校生徒が一堂に会す」ということは、この予行が最後になります。卒業生だけではなく在校生含めての本年度の私の最後の講話とします。少し話す時間をください。

2 「冬 来たりなば 春遠からじ 」皆さん、1月のことを思い出してください。

3 1月の最終週、最低気温がマイナスを記録する日が続きましたね。私は、あまり寒暖を気にしない体質なのですが、それでもあのときの寒さは堪えましたね。校長室にストーブを入れたのは、その時からでした。「いやぁ~寒いね、自転車登校つらいな」 「寒くて×2、授業中震えていました」皆さんもきっとこんなつぶやきがそこここであったでしょう。

4 「冬 来たりなば 春遠からじ。」

この言葉、日本や中国のことわざのようにも思えますが、実は、英国詩人シェリーの詩の一節なのです。寒く厳しい冬が来たならば、暖かな春の訪れもそう遠くはない、ということから「たとえ、つらい状況にあっても、耐え忍んでいればやがて幸せなときもめぐってくる」という意味で使われます。

 

5 「冬 来たりなば 春遠からじ」

あの寒かった時に、私はこのことばをふと思い出しました。「このことば、ずいぶん安易だな…」と思う一方で「究極の“ポジティブ”な発想では?」とも思ったのです。そして、私たちの“今”と“これから”の生きていくスタンスにしたい、と思ったのです。

 

6 そう、“今”と“これから”の時代は、※「VUCAの時代」ともいわれます。(一度、“講堂朝礼”で話しましたね。VUCAとは、変動性・不確実性・複雑性・曖昧性の英語の頭文字をつなげたことばです。)

 

これを聞くと、皆さんの活躍するこれからの社会はお先真っ暗なのかと不安にさいなまれる?「こんなはずではなかったぁ~」と嘆いても、捉え方によっては「経験していないからワクワクだね!」と思えるかもしれない。そう思えたらステキ、そんなポジティブな発想・思考をこれからのステージで獲得してほしい。

 

7 ところで…3年生の皆さん。いよいよ卒業ですね。「コロナ」から…あの“6月入学式”からはや3年。4月・5月の「スティホーム」…そうそう、そのステイホームの“一日一日”はとても長く感じたが、この3年の短かったこと…。皆さんは、この“矛盾”を肌で実感しているのでは?と思います。「3密回避、換気だ!」「黙食、大声でしゃべるな!」「留学に行けなかった」「コロナに罹って修学旅行にいけなかった、一緒に帰ってこられなくなった」「部活の試合が、楽しい行事が……延期・中止」

 

一人ひとり(たぶん)ネガティブな思い出があったでしょう。コロナだけでなく、親との意見の食い違いとか、お友達との関係がうまくいかなかったり、成績が思うように伸びなかったり、なぜだかわからないけど、イライラしたり、やる気が出なかったりでも、いよいよ、コロナ終息をイメージして、そして「必ず春になる」ことをイメージして、ポジティブな発想・思考を獲得してほしい。そう思うのです。 

 

8 Well-Being、誰もがしあわせになる因子(要素)の4つ。

 

「やってみよう」因子・「ありがとう」因子・「なんとかなる」因子・「ありのまま」因子これもどこかで話ししましたが、この4つの要素=因子を少しでも具現化させたい。人生は一回きり。VUCA時代の君の人生も一回きり。いつの時代でも、結局はポジティブでアクティブな発想・思考が私たち人間を救ってきたのだ、と私は思うのです。

 

9 在校生の皆さん、私は教員になってこの「東京女子学院」でちょうど10校目の学校です。どこの学校にいても、私はいつも「3年生がよい学校は、よい学校」と思っていましたし、激励の意味も込めて折に触れてそう言っていました。「3年生がよい学校は、よい学校」それは、「下級生よりも良いとか悪い」とかいうことでなく、3年間・6年間でよりよく成長していく、ということです。明日、卒業する高校3年生は、このことを、実によく実践してくれた、具現化してくれた、そのように思います。 

 

10 在校生の皆さん、ぜひ部活や委員会、行事や日々の学校生活の中で、「3年生がよい学校はよい学校」このことを引き継いでいってくださいね。そのような気持ちを心の片隅において、来週からの「学年末考査」のために、明日はしっかり「自宅学習」をしてくださいね。

 

以上で、予行での校長からの話とします。