本校の花、芙蓉の花がようやく咲き始めました。(7月20日 終業式撮影) 本校の花、芙蓉の花がようやく咲き始めました。(7月20日 終業式撮影)

 皆様、ごきげんよう。1学期が7月20日終業式で終わりました。もちろん、通常の授業は終わったとはいえ、「成績面談」、補習、講習が終わってようやく夏休みとなるわけですが…。相変わらずの「コロナ禍」の状況…いや相変わらずではなく、第7波、子どもの感染がずい分多いとの報道。本校の生徒も…。ぜひ、ご家族一緒に「基本的な予防対策」を徹底していただきますようお願い申し上げます。 
 さて、終業式での私の式辞をUPさせていただきます。
生徒全員が、夏休み「コロナ」はもちろん、それ以外の疾病や事故に巻き込まれないよう願うばかりです。そして元気な姿で2学期顔を合わせられますように…。

令和4年度第1学期 終業式 校長  野口 潔人

 皆さん、ごきげんよう。大変短い梅雨が明けて猛暑、そして期末考査と皆さんは大変な夏休み前の7月でした。 
 さて、終業式の話の本題に入ります。
 令和3年度3学期の始業式、つまり今年の始まりの最初の講話で「ウェルビーイング」(Well-Being)ということばを紹介しました。中学・高校1年生は入学前なので(残念ながら)その話は聞けていません。
 今日はその「ウェルビーイング」(Well-Being)の第2弾です。1948年、WHO(ダブリュ・エイチ・オー 世界保健機関)は憲章の中で、健康について「身体面・精神面・社会面のすべてにおいて良好な状態(well-being)にあること」と定義しています。
 それ以降、well-beingとは何か、どうしたら、幸せになるかということを、「幸福学」という学問として多くの研究者が研究をしています。日本では慶應義塾大学大学院の前野 隆司先生が、「ウェルビーイング」について、次のように大胆に定義されています。
 前野先生は様々なアンケート調査を行い、コンピュータによる因子分析を実施。その結果、幸福感と深い相関関係がある4つの因子を突き止めました。
 ひとつ目が、「やってみよう」因子(自己実現と成長の因子)。夢や目標ややりがいを持って、本当になりたい自分をめざして成長していくとき、人間は幸せを感じるというのです。ただ、その目標は“やらされ感”でなくワクワクするものでなければ幸せにはなれません。
 ふたつ目は、「ありがとう」因子(つながりと感謝の因子)です。多様な人とつながりをもち、人を喜ばせたり、人に親切にしたり、感謝したりすることが幸せをもたらすということです。このことは、私は実によくわかります。人を喜ばせることが、自分の喜びにつながるというわけで、感謝が広くて深い人ほど幸せを感じやすいというのです。
 みっつ目は、「なんとかなる」因子(前向きと楽観の因子)です。いつも前向きで、「自分のいいところも悪いところも受け入れる」という自己受容ができており、「どんなことがあっても何とかなるだろう」と感じる楽観的な人は、幸せになりやすいのです。これも投げやりな意味ではなく、今までも、そしてこれからも出会う様々な“困難”に対して、ネガティブに深く考えすぎず生きていくことで幸せがになるということです。
 そして最後のよっつ目は、「ありのままに」因子(独立と自分らしさの因子)。人目を気にせず、自分らしく生きていける人はそうでない人と比べて幸福感を覚えやすい傾向があるということです。他人と自分を比べすぎず、自分軸をしっかりもって生きる人は幸せです。逆に、自分軸がぐらついていると、人と比べて『自分はダメだ』と思い込み、幸福度が低くなりがちです」と前野先生は言います。
 皆さん、happyとwell-beingを比べた時、「カネ・モノ・地位」といったものを得ることは確かに、短いhappyつながっていきますが、well-beingとなるとこの4つの因子がないと真の幸せ感にはならないのだということです。
 暑いですけれど、そしてコロナにかかる心配がありますけれど、この夏休みをどうか元気で乗り切ってください。そして、皆さんなりのwell-beingを考えてみてください。そして4つの幸福感の因子をもてるような生活を送ってください。以上で1学期の終業式の式辞とします。

 

始業式後、「壮行会」「送別会」がありました。要点のみお示しします。 

全国大会壮行会

 はい、皆さん。改めてテニス部・ダンス部の全国大会出場おめでとうございます。ぜひ「平常心」で「ワンチャンス」を活かして、頑張ってほしい。そのように思います。 

留学生送別会

 8か月にわたる留学生活、お疲れ様でした。日本で学んだことを活かし、ぜひ「Be a global citizen」となってください。 

留学壮行会 

 それぞれ、自分の目標達成のために頑張ってきてほしいでし。併せて、日本のよいところをたくさん伝える留学にしてほしいと思います

 
(本文とは全く関係ありません)本校図書室、蘭が咲いています。「環境のよい場所においていたら、勝手に?咲きだしました」ということです。この”勝手に~”は、教育の世界にも通じるかもしれませんね。  
(本文とは全く関係ありません)本校図書室、蘭が咲いています。「環境のよい場所においていたら、勝手に?咲きだしました」ということです。この”勝手に~”は、教育の世界にも通じるかもしれませんね。

 1学期期末考査も終わり、1学期の行事としては終業式を残すのみとなりました。何とか無事に終わることが出来そうです。そしていよいよ夏休み。ただ、留学前講座~留学する生徒たちの事前レクチャー~・夏期講習会~・補習授業等々夏休みに入っても7月初旬までは学校での学習指導は続きますが・・
 まぁ、しかし、「コロナ」も一緒に夏休みになるわけではありません。むしろ「第7波」に入ったといわれています。変わらない、感染予防を心がけたいです。(皆さん、”鼻うがい”はとてもよいですよ)
 さて、本日、ちょっとプライベートな話題でブログを更新します。PTAの広報誌用に書いたつもりが、あまりにもふさわしくないのでは?…と思って結局広報誌には載せず、ブログの更新用にしたのです。皆様、お時間がありますればどうぞお読みください。

 「あなたがいたからここまで来(ら)れた」
 最近読んだ本を紹介します。『走ることについて語るときに僕が語ること』(村上春樹著 文春文庫)です。私は村上さんの本を読むのは初めてです。だから、村上さんがフルマラソン(以下“フル”)やトライアスロン競技に出場していたこと初めて知りました。読んで、村上さんのレース前・中・後の、そしてトレーニングをしている時の様々な気持ちやその描写に共感することばかりでした。「この本は市民ランナーのバイブルだ!」と仲間にメールを送りました。あとがきの最後の文、「(レースで出会うすべてのランナーたち)あなた方がいなかったら、僕もたぶんこんなに走り続けられなかったはずだ。」…このことばには、胸を熱くしました。村上さんの語りたいことがこのひとことに集約された、そう思いました。
 共感したのは、私も年に1回フルをやっているからです。走り始めたのはミネリアム(2000年)の数年前から。5㎞→10㎞→フルとやってきました。今は、私から数年遅れでフルを始めた親友と、11月第4日曜のレースを一緒に走っています。(一緒なのは前泊宿とスタートまで、そしてゴール後ですが)毎年、この時期にエントリーが始まります。「申し込んだよ」「じゃあ、今年も走るか…トレーニングしなけりゃ…」どちらからともなく短いメールのやり取り。「自分からは絶対“やめる”とは言わないぞ」お互い暗黙の誓い、同じレースで10回目になります。二人ともレースの日までには65歳になります。「あなたがいたから、続けて走れる」そのような気持ちに、少しだけなりました。
 彼とは一緒の公立中高。私は文系大学、彼は理系大学。どちらも「学校という職場」で生涯働くのです。部活が好きで子どもが好きで教えるのが楽しくて…。「君と僕は親友だ」などと確認し合ったことはただの一度もなく、毎日一緒の場にいないと心配でならないといった心境になったこともありませんでした。ただ、「君に何かあったらいつでも飛んでいくぞ!」ことばに出さなくてもそのような思いはお互いにありました。(いつも彼に飛んできてもらっていた)
 「あなたがいたからここまで来(ら)れた、続けられた。」マラソンレースのことではなく、いろいろな場面や様々なかかわりのある人たちとの中で、このような言葉のやり取りが頻繁であること。…卒業するとき、また卒業してもなお本校の生徒たちが、このように“友人”や“大人(教員だけではない)”を認識できるようになったら、そして学校という場にこそ、そのような土壌があれば本当に素敵だな、と思います。そして皆さんがそんな仲間を一人でももてることが出来たら…。新しい施設やカリキュラム内容でなく、生徒と教員、本校のかかわるすべての“ヒト”たちが、成長や向上心をキーワードに学校生活を送ることが出来たら…生徒一人ひとりにとっての「あなた」の存在があること。そのような学校、素敵ですね。そして、夏休み。学校という範疇ではなく様々な出会いがあるかもしれません。「あなたがいたからここまで来(ら)れた」このようにいえる人との出会いがあるとよいですね。
PS:しばらく“フルを走っていない”ある市民ランナーにこの本を紹介しました。ほどなく、「読みました。また走りたくなりました」と言っていました。このことば、私もうれしい~です。