先週金曜日(25日)で、春期講習も終わり、すべての今年度の学習の取組が終わりました。

皆さん、ごきげんよう。そしてお疲れさまでした。長~い長~い「校長ブログ」をお読みくださった方、加えてお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

いよいよ令和3年度(今年度)もあと数日となりました。今年度「コロナのなか」とはいえ、何とか無事に1年度を終えることができました。本当に早いものです。今年度卒業した高等学校の生徒たちは、丸2年間、コロナの影響を受けていたので、さらに早く「高校生」を終えてしまった感があります。まして、SA(スタディアブロード)の生徒たちは、入学したら留学してしまい(?)帰国したら「コロナ」になって休校・・という感じでしたので・・。一方、本校で初めて開設したFC(フードカルチャー)コースは初めて卒業生を送り出しました。栄養系の大学など、それぞれ大変よい成果(進学先)を出しながら・・・。彼女たちの次のステージでの活躍に期待します。

 さて、今年度最後のブログとして、その高校卒業式の式辞を載せさせていただきます。そういえば、某テレビ局の『チコちゃんに・・』の問題「校長の話はなぜ長い」で、某教育評論家の方が仰っていた「ネタ本をよむから」ですが、「ネタ本なんぞ使わないので野口の話は長い」となってしまいます。私は、今回で校長になってから(入学式と合わせて)30回以上の「式辞」を述べていますが・・一切使ったことありません。異動になって、“使いまわし”を何度かしたことはありますが・・・。今回のものは、ネタ本はもちろん、使いまわしもしていませんので念のため・・。

 

式   辞

 

はじめに・・・PTA会長 ○○ 様、後援会会長 ○○ 様には公私ご多用のところ、ご臨席賜り誠にありがとうございます。また物心両面にわたるご協力・ご援助に対し心より御礼申し上げます。

 入学時から多くの皆さんが楽しみであったであろう「アメリカ修学旅行」。訪問先を九州に変更してもなお実施できませんでした。3年間の中の2年間は日々「コロナ」を気にしていなければいけなかった皆さん。しかし、皆さんの高校生活がネガティブな評価で終わることの無いように、本日この一日を晴れの日にしたい。私はそんな思いでいっぱいです。

東京女子学院を卒業していく皆さん、卒業おおめでとうございます。

 さて、式辞にあたって、ある女性を紹介します。「SYさん」たぶん、皆さんのほとんどは知らない。1973年生まれの、職業は看護師さん。7歳の時「国境なき医師団」という機関に興味をもちました。国境なき医師団は世界の紛争地で、独立・中立・公平な立場で人道援助活動を行う民間・非営利の国際団体です。Sさんはその団体に登録し、8年間で17回もの「紛争地への派遣」に応じてきました。常に自身の生命(いのち)の危険と向き合う、想像を絶する現場で、医師を助け負傷した民間人たちへの医療活動をしてきた方です。私はその人のことを新聞の記事で出会い、執筆した本を読みました。「紛争地の看護師」この本です。

 私は、この本を読みながら、この紛争地で活動する日本人看護師に、何故か「レディ」のイメージをもったのです。「働く場所はどこでも、自分で決めた道にひたすら使命感をもち、気品をもって活動する人」に…自分の生命(いのち)はもちろん大切、しかしその生命(いのち)とともに、誰かの生命(いのち)とその未来を救いたい、特に傷を負った子どもたちの未来を救いたい、そのような看護師としての真(まこと)の姿勢に「レディ」を感じたのです。

 さらに、Sさんのお母さんは、「本当は、紛争地などに行ってほしくない」という不安な表情を見せず、いつも淡々としていて、「娘が信じた道で居場所を見つけたこと」を、一切反対せず、信じてバックアップしてくれた。私はこの凛々しい母と子に敬意の念をもたずにはいられませんでした。

 皆さん…。皆さんと出会った3年前の入学式、私は、式辞にある保護者の方のエピソードを使わせていただきました。それは 「校長先生、うちの娘を素敵なレディにしてくださいね」…皆さん、覚えているでしょうか。卒業していく皆さん。そして保護者の皆様。東京女子学院は、皆さんを「レディ」にすることができただろうか。お嬢さんは「レディ」になれただろうか。保護者の方が、どのような意味でこの言葉を使われたのかは別にして、少なくとも、美しくきらびやかな服を着て、素顔もわからないような化粧をした貴婦人や淑女の意味ではなく、今ある皆さんの“成長”から醸し出す「人格のよさと品格を、これからも追及すること」こそ、素敵な「若きレディ」になることである、と私は思います。

 保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。小学校からの、12年間におよぶ「児童・生徒の保護者」を終わることに、一抹の寂しさとともに、お嬢様以上の“感慨”をおもちなのではないでしょうか。そして、この4月からお嬢様たち全員が法律上の「成人」となり、皆様は「保護者」でなくなるわけです。一方で、お嬢様が真に自立した女性になるには、大人としての皆様の支えがまだまだ必要であると思います。どうぞよろしくお願いいたします。そして、6年間・3年間、本校の取組に対して物心両面のご支援とご協力をいただきましたこと、改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

 卒業生の皆さん。今、世界でリアルに起きている「戦争の状態」で、Sさんのような看護師たちがどれだけ活躍しているでしょうか。私は、たった今起きている戦争を肯定するつもりも、現地の人たちを救うために皆さんが戦場に行って何かを・・などというつもりも、もちろんありません。「成人」としての自立した考え方で、これからの、世界でのそして日本での様々な困難な状況をどう捉え、何をすることで「組織や社会に貢献する女性(ヒト)」となるのか、ということを、自分事として考えてほしい、そのように思うのです。

 卒業していく皆さん。皆さんが「正しい姿 明るい心」の建学の精神の中で自分らしさを育んできたことに私は敬意を表します。その自信と誇りをもって、次のステージで、自分らしく、凛とした女性として活躍してほしい、人生100年時代の社会の中で、それぞれの持ち場で組織や社会に貢献してほしい、そう願っています。
 皆さん、いよいよお別れです。最後の最後に・・ちょっとやそっとじゃへこたれない、落ち込まない、たくましく生きるタフな女性になりましょう。そして、お互いがんばりましょう。卒業していく皆さん。応援しています

 

令和4年3月6日 

東京女子学院高等学校長

 野 口 潔 人

卒業式(6日)を控え、在校生たちが、会場づくりをしています。(本文とは関係ありません) 卒業式(6日)を控え、在校生たちが、会場づくりをしています。(本文とは関係ありません)

 都立発表後の併願の受験生が手続きに来た1日・2日。昨日まで、エントランスに飾られていた「ひな壇」もしまわれました。いよいよ・・本校は、高校生は明後日(6日)が卒業式になります。
 私たち教員は、「3月」が好きです。(たぶん多くの教員がそうだと思います)何故なら、1年(年度)間が終わり、つかの間のホッとした期間が待っているからです。そして、何よりも高校3年生(中学3年生)が、高校生活(中3は義務教育)を終え、自分でつかみ取った自分の進路に向かって歩き出していくからです。(中3は一つの“区切り”をもって新たな気持ちをもつ準備をしていくからです。)1・2年生もひとりひとりの1年分の「成長」を確認できるからです。変な(?)いい方ですが、この「3月」がなければ、こんなに長くこの職に就いていないかも知れません。・・・
 一方「3月」といえば、“あの日”がやってきます。“あの日“のことについて、改めてまた考えてみました。「“あの日”を思う」として綴ってみました。以下、お読みくだされば幸いです。

 

 「コロナ禍」は、いつまで続くのか…、本当に早く終息してほしい。もう2年半も常に考えています。「コロナ禍」の「禍」(わざわい)という字も頻繁に使うようになって慣れてしまいました。    「禍」といえば地震。最近、地震や海底火山の噴火が多いですね。私は先日の「阪神淡路大震災から27年目」の新聞記事の見出しに、“あの日(1月17日)”東京でもずいぶん揺れた朝5時46分を、そして被害がすさまじく拡大されていく状況を職員室のテレビを。防災やボランティアのことばが“あの日”から多く使われ始めました。
 そして、今年の“あの日(3月11日)”は、11年前と同じ金曜日であることに気づきました。当時、公立中学校にいて、年度最後の校長会があり会場へ行く途中でした。コンクリートの地面が確かに大きく波打ち、降りたバスが目の前で大~きく揺れていたこともより鮮明に思い出すのです。そういえば、この3月卒業の生徒たちは、2011年のあの日が小学1年生。あの午後2時46分はどんなにか怖かったことでしょう。出張先からとんぼ返りした私(当時小学校の校長)は、学校から保護者の方々に「お迎えに来て下さい…」旨の緊急メールを流し、多くの方々が早々に“我が子”を迎えに来てくださいました。
 さて、「常にマスク」「3密回避」をいわれ続け、楽しみだった?「修学旅行」が中止になってしまった今年度の卒業生…その“我が子”は、卒業と同時に来る4月、“成人”になるのです。何と時の早いことよ!普通(?)の学校生活を送れずあまりにかわいそうでした。しかし、様々に制限された生活の中にも、“成人”たるエッセンスを本校できちんと身に付けた、と思っています。そのエッセンスは、他の人への感謝の心をもてることと「精神的自立」である、と私は思っています。
 “あの日”、保護者に手を引かれて自宅へ帰った“我が子”は、いよいよ自立への道に踏み出します。自然災害に限らず、これからも起こりうる様々な「禍」に、決して自分を見失わず「自分らしく」生きてほしい。社会に貢献する女性(ひと)として、次のステージのスタートラインに凛として立ってほしい。切にそう願うのです。