グラウンドのわき、自転車置き場のところに1本。この寒さの中で、早咲きの「河津さくら」が芽吹き、中には一輪ずつ咲いてきました。「もうすぐは~るですねェ♪」と歌うよりも、あと1週間くらいは「春は名のみの 風の風の寒さや~」ですかね?(本文とは全く関係ありません)
グラウンドのわき、自転車置き場のところに1本。この寒さの中で、早咲きの「河津さくら」が芽吹き、中には一輪ずつ咲いてきました。「もうすぐは~るですねェ♪」と歌うよりも、あと1週間くらいは「春は名のみの 風の風の寒さや~」ですかね?(本文とは全く関係ありません)

 本校では、月2回、「講堂朝礼」といって、(小中学校でいう)「全校朝礼(全校集会)」を行っています。(「コロナ」の関係で「放送朝礼」に変えたり、講堂に集合してもできるだけ短時間にしています。)かつて、校長の私が、毎回“講話”をしていましたが、2回のうち1回は、私以外の教員に分担してもらうようにしました。教員それぞれは、”話をする”となると、持ち前のうまさを発揮するものです。特に、新規採用数年の教員は、大勢いる生徒たちの前で話をするのはとても緊張して話す一方で、生徒たちにとってはその先生の話によって自分の将来を身近に感じる“ロールモデル”となる話の内容になる場合があるので、私はとてもよい取り組みであると思っています。私は、公立中学校にいた時からずーっとやっていたので、本数冊を発行できるくらいです。本日(2月16日)今年度の「講堂朝礼」は終わりました。担当者は新規採用2年目の女性教諭の話でした。その先生の話は本校の生徒たちが直接聞いた内容なので、今ここでは申し上げません。しかし、私自身が約40年前の”新卒時代”を思い出してしまいました。以下、思い出したことを原稿にしたPTA広報誌に載せた文章です。よかったら読んでください。

「明日にかける橋」
 皆さん、ごきげんよう。冒頭にしばしば「コロナ」のことを話題にしていましたが、今号は一切触れず、とびきり“私的”な話題にします。先月の、正月のBS番組に1981年のS&GのNYコンサートがありました。(S&Gといえばサイモンとガーファンクル・NYといえばアメリカニューヨークなのですよ、生徒諸君!)アメリカの男性二人のデュオグループ、40年近く前の映像に、私はあることを思い出しました。
 私は、そのコンサートの翌年から教職に就きました。中学担任で3年間かかわってきた生徒たちの卒業式を迎える日の前日でした。最後の(高校でいう)LHRに、カセットデッキとテープ(懐かしい?)を教室まで持参し、ある曲を流して門出を祝おうとしました。それが、先ほどのS&Gが歌っていた「明日にかける橋」でした。歌詞は…『君が生きるのに 疲れて~~ 涙がこぼれそうなとき 僕がそれを拭い去ってあげる 僕は君の味方~~ 激流にかかる橋のように 僕がこの身を捧げよう(和訳)」『When you are weary~~♩ Like a  bridge…』もちろん英語の歌詞です。

 「のぐっちゃぁ~ん…最後までめんどうくさそうなことをして~~」と、ぼやく“ことな”たち(大人と子どもの間の生徒)に、半ば強制的に聞かせたこの曲の優しくも力強い歌詞とシンプルな曲奏はいつまでも忘れないのです。たぶん、そのことを当時の子どもたちは誰一人として覚えていることはないでしょう。しかし、“幼き荒くれたち者たち”をこの「明日にかける橋」のような若者に育てたい、そしてそんな大人になってほしいという私の教育観は、この曲が原点なのかもしれない、とテレビの映像を見ながら昭和ノスタルジーに浸っているのでした。

 今年度3学期、各担任が最後のLHRでどのように話をするのか、たぶんそれぞれでしょう。特に卒業(修了)を迎える高(中)3年生たちには、これからの「withコロナ」時代に「涙をこぼして、下を向いている仲間や身近な人がいたら、何も言わずいつまでもそっと寄り添っていられる君でいてくださいね。それが東京女子で学んだこれからの皆さん若者の正しい姿ですよ」とぜひ担任から伝えてほしいですね。3年の皆さん、祝卒業!ついでに…皆さん、S&Gの曲を聴いてみてください。そしてその歌で英語を勉強してみてください。

エントランスに7段の”おひなさま”が飾られる時期になりました。(すでに2月10日の一般入試に日には飾られていましたが・・本文とは関係ありません)
エントランスに7段の”おひなさま”が飾られる時期になりました。(すでに2月10日の一般入試に日には飾られていましたが・・本文とは関係ありません)

 ちょっとしたエピソードを…。2月10日・11日、一般入試の日、大雪が予想されました。2科目ごろから強く降り始めましたが、何とか面接終了まで天候はもってくれました。試験を終えて帰りがけ、受験生はおひなさまを見て「わ~すごい、かわいい~!朝は(試験前)気付かなかった…」まあそうですよね。1月22日から始まった中・高入試も、ここで一段落。あとは都立受験、精一杯頑張ってもし…。都立と本校との併願生徒がこの”ひな壇”と再開するのは何名になるか!…それにしても「君の行く学校が一番よい学校」ですよ!

以下は”受験”とは直接関係ありませんが、ちょうど受験の時期に始まったオリンピックのテレビ放映を見ながら書いてみました。

 今年度は、図らずも夏季オリンピック・パラリンピック(東京)と冬季オリンピック・パラリンピック(北京)の二つのオリンピック・パラリンピックがあっての卒業生を送り出すことになりました。「コロナ」の中での開催の是非はありましたが、両方のスポーツイベントで10代の若者が大勢活躍していたのが印象に残ります。また、若者だけではなく何度も挑戦して「悲願のメダル」を手にしたアスリートも多かったと思います。今回、私は閉会式の前に熱戦が繰り広げられた「女子カーリング」をテレビ観戦しながら感じたことをふたつ取り上げたいと思います。
 皆さん、スポーツ(試合)が成り立つ条件って何だと思いますか?私は、今までどのようなスポーツ(試合)でも、①自分がいて、②対戦相手がいて、③審判がいて、(願わくば)④観客(応援者)がいて成立、と思っていました。ところが、何とその定番①②③④が覆されたのが「カーリング」でした。カーリングのルールは、(細かくは分かりませんが)③の審判は明確にはなく、①と②が確認しあってそれをルール(判定)にしているようです。『1エンド終了時点で、円の中心に近いストーンのチームが、相手チームのストーンより内側にあるストーンの数だけ得点を得られる』というのは何回も見ているうちに分かってきましたが、どちらがより“近い”ストーンの位置かは、原則として①と②の目視での判断なのですね。
 もうひとつ・・・。もちろん、テレビ放映上のことなので、実際に会場で選手を見るのとは印象が違うとは思いますが、どの国のどの選手問わず、ストーンを滑らせる選手たちの表情が“美しい”こと。“きれい”とか“美人”とかがプレーをしているというのではなく、やはり表現としては“美しい”でした。では、何故美しいのか?について…私はこのように思うのです。それは・・・。ストーンを投げる時の、線からハウス(投げつく先のあの“円”)までの約40m、投げたストーンのコースを、瞬きせずにずーっと追っている表情(目)は、“誰か”や“何か”に気持ちがうつろになっている表情(目)ではない。だから“美しい”と思うのです。まさしく、「思ったところに滑ってくれ!ねらい通りに行け!」とストーンを手放す時の“願い”のこもったスローモーションの表情は男女問わず美しかった…テレビで観戦していた皆さん、そう思いませんでしたか?
 飛躍しすぎかもしれませんが、カーリングの“ストーン”や“ハウス”を、若者のめざす“進路”や“目標”などに置き換えた時、一点集中の表情は、たぶん同じ美しさだと思います。いよいよ3月、学校や生徒たちもあと約1ヶ月と少しで新しいステージに進みます。オリンピックやパラリンピック選手のみならず、(名もなき)中学生や高校生の表情だって、きっとキラキラ輝く。そのような3月にしていきたい、なってほしいですね!

(余談ですが、カーリングはイギリスの発祥と聞きました。ゴルフもそうですが、紳士=ジェントルマン・(淑女=レディ)の国発祥のスポーツは“不正はしない”前提でルールが決まっていくのですね)