数日前からの寒さに比べては、寒さは和らいだ朝でした。本日受験の受験生、体調も万全(エントランスでの検温等もちろんクリア)で受験できました。正門入ってすぐの河津サクラ…よく見ると、だんだんとつぼみが膨らんできています。 数日前からの寒さに比べては、寒さは和らいだ朝でした。本日受験の受験生、体調も万全(エントランスでの検温等もちろんクリア)で受験できました。正門入ってすぐの河津サクラ…よく見ると、だんだんとつぼみが膨らんできています。

皆さん、ごきげんよう。

本日、高校推薦入試、本校“単願”の受験生の面接試問の入試です。(一部、他県の併願推薦の受験生もいます)

いきなりですが、本日、通勤電車の中で、急にこのようなことを思い浮かべました。「“単願”“併願”ということばがいつ頃から出てくるようになったのだろう?」現在、受験用語としては定着してしまっていますが・・一般的な言葉ではありませんね。かつて、私が新卒3年目、初めての中3担任をしていた(昭和59年)ころでも「すべり止めの学校として○○高校(中学校)を…」と三者面談で話をしていました。先輩教員からは、「“すべる”なんて言葉は使ってはダメ」と言われていたような…私は「では“トメ”にしよう…」と勝手に解釈したものです。もうこの言葉も全く使わなくなりましたね。すべり止めは、まさしくこの“併願”なのです。でも“単”でも“併”でも、そしてすべり止めでも、私は受験の方法(選抜の仕方)が変わっただけ、どんな形態であれ「挑戦」の要素が入らなければ決して受験とはいえない、と思っています。

学校側からの観点。もちろん、学力レベルをはじめ様々な学校の違いはあるものの、学校を選択しなければ、(少子化の時代)全入の時代です。しかし、私学はいうまでもなく、公立の学校もそれぞれの特徴を色濃く出していかなければ受験さえしてくれません。入学選抜をする側からいえば、その学校で充実した生活をしたい、とより強く思っている生徒に入ってほしい、そう思っての“単願”なのですね。

昨秋、何回も学校説明会がありました。その中で、受験生の皆さんには校長あいさつの代わりに様々な話をしました。そのうちの一つ、このスライドです。

「推薦」で合格しようと安易に思わないこと。

しかし「学力」⇒「机上の学習」だけではない

「コミュニケーション力」も立派な学力ダ~!

と高校生たちを見ていてつくづく思います。

これは、練馬区内のある中学校で11月に中3の生徒に話をする機会があったときに、パワーポイントで示した1枚です。それを、学校説明会でも活用しました。高校受験はもちろん、大学入学選抜においてもどんどん「推薦」の制度が進む中、そして「主体的・対話的で深い学び」が進む中、○か×かの正解を求めるの(だけ)でなく、 例えば、

①自分のことばで、自分の言いたいこと(言うべきこと)を正しくそして相手に伝わるように発言すること。

②他人の意見をしっかり聞き、まず受容し、同意したり根拠をもって反対の意見を言ったりすること。

③そして、今の目の前の“課題”をどのように解決していくのか、考えたり相談したりすること。

④さらには、簡単に解決できないことや対立場面では、どこでどう“折り合い”をつけていくのか。

⑤さらにさらに…これからの社会の中で様々な困難なことにであったとき、その困難の原因は何かを調べたり、本来どうあるべきかとか、よりよいものにどのように作り上げていくのかと考えていくこと

(等々、私の今思いついたコミュニケーション能力や対応力・判断力ですが)たぶん、これから生きていく社会の中で、上記ようなことが必ず求められていくはずです。そう考えると、○×の問いや学力ではなく、常に学び続けていくための「学習する態度や姿勢」の根本、いわば「学習基礎力」を培い「向上心」をもたせることが大きな課題だと思います。それらの能力を培っていく第一歩の「入試」は実に価値のあるものである、そのように思うのです。

 さて、関連した“別”の話題をお示しします。

最近、公立中学校長時代の“親愛なる飲み友達?”(誤解の無いよう会食や飲み会はコロナの前ですので…、この方は現在、某区の教育委員をしている人です。)から一冊の本を紹介されました。「教育現場は困ってる(榎本博明 著 平凡社新書)」という本です。『教育界の現状や教育改革の矛盾を指摘し、学校教育のあり方に警鐘を鳴らす』と紹介がありますが、この本で学べるところはもっと多くあります。(もちろん、全部をお示しすることはしませんが)その一つに…。タイトルと気になることばを…。

第5章 学校の勉強は役に立つ

受験勉強は意味がない?

(前半部 略)でも果たして本当に受験勉強で学んだことは、受験が終わってしまえば無用の知識ばかりなのだろうか。今、多くの大学で問題になっているのは、中学校や高校で学んだはずの数学や理科、英語の知識が身についていない学生が多くて、中学校や高校の復習のための授業をしなければならない現実である。

(中部 略)

こうしてみると、むなしさの象徴のように言われてきた受験勉強にも、基礎学力の定着を保証するという意味があったのである。

(後半部 略 )

 さらに、著者は「受験勉強には、非認知能力を高めるという効果もある」と書いています。非認知能力というのは、自分をやる気にさせる力や自分を信じる力、自分の感情をコントロールする力など、知的能力とは異なる能力を指します。

 “受験”というものを、ネガティブに捉えるのではなく、受験によって、「基礎学力の定着」であったり、「自分自身の何たるか」が知れ、「コミュニケーション能力を培う」第一歩となるのだということがポジティブ思考になることでよりわかると思います。

 (先ほどの)練馬区某中学校での講話を終えて、感想を生徒の皆さんにもらいました。ある生徒の記載がこのようなものでした。

“自分自身のよさをアピール”は普段なかなかしないことなので、面接では、自分自身を知ってもらいつつ、逆に自分のことを知ろうとできるので、大切だと感じました。

私は、この文を読んで、改めて「まさしく“受験”の効果⇒君の成長」と思いました。私たちは、(受験する学校や受験の方法こそ違いますが、)受験や受験勉強によって、若者は人間として、若者として大きく成長するのだという確信をもっていたいと思います。

受験生の皆さん、まずはお疲れ様でした。”アクリル板”越しの面接官へ、しっかり自分をアピールできましたね?

10月5日以来の校長ブログ更新です。あまりに長く更新していませんでしたので、皆さんからの信頼を失ってしまいましたね。次号から、なぜ更新ができなかったかの“いいわけ”を申し上げることにして、とりあえず、「緊急事態宣言」の中、3学期が無事にスタートしたことのみをお知らせしてブログを再開したいと思います。

本校は、12月19日が2学期の終業式でしたが、ご存じの通り、そのころから新型コロナの感染がだんだん増えていき(社会全体が…ですよ)3学期の始業式を予定していた8日(金)から、3連休明けの12日(火)に決めていました。ちょうど、「成人の日」明けでしたので、「成人の日」にちなんだ話題にしました。以下、3学期始業式に話をした内容です。

令和2年度3学期始業式(030112) 校長 野口潔人

皆さん、ごきげんよう。元気で生活できていましたか?さて、3学期が始まります。途中で突然「臨時休校」になってしまうかもしれませんが、ぜひ、毎日毎日、充実感とともに危機感をもって生活していってくださいね。3学期の始業式、本当は講堂でやりたかったのですが・・。「放送」ということにしました。

さて、昨日は「成人の日」でした。残念ながら、多くの区市で成人式が「中止」になってしまったり、「リモート」での式になってしまったようです。本校でも、ハタチの卒業生が集まって「成人の集い」を後援会の皆さんに企画していただいていました。それも中止になってしまいました。卒業生のハタチの皆さんを知っているのは、今の高校3年生の皆さんと中学3年生以上の一貫生ですね。私からすると、あの、前のセーラー服の、あの、生徒たちがもうハタチか…、と思うと実に「時がたつのは早いな」と思ってしまいます。

昨日の新聞には、広告の欄に“ハタチ”になった人たちへのエール(応援)のことばがありました。もちろん、高校3年生でも、“ハタチ”まであと2年ありますが、今年中にある国会議員の選挙も、すでに皆さんの中にも選挙権を持つ人がいるので、間近な事なのだとも思います。この令和3年の始まりに、皆さんには、この“広告”の言葉で始業式の話とします。“ハタチ”でなくても、中学生でも、何か感じてくれるとよいな・・と思って全文読みたいと思います。

新しい人の情熱を信じている

新成人おめでとう。

今日から大人だと言われても、そんなはずはないと、君は思うだろう。私の時もそうだった。

――大人って何だろうか?

それを考える前に、今年の新成人の君たちがいつもの年と違っていることを話しておこう。それは、君たちがコロナの中で新成人を迎えたことだ。

いや、大変だよね。手洗い、うがい、マスク着用、大声を出さない……。コロナの対処法があり、ルールが生まれた。君たちはよくルールを守り、今も黙々と戦っている。なぜ自分たちだけが、なぜこんな時代に、と愚痴も言わず、嘆きもしない。世界が君たちに感心している。私も君たちを誇りに思う。よく踏ん張ってるね。

さまざまな感染症が人類を襲って千五百年が過ぎたが、私たちは一度も彼らに敗れていない。

――なぜ敗れなかったのか?

それは、私たちの先祖がひたむきに耐え、考え、知恵を出し、脳漿をしぼり、懸命にベストを尽くしたからだ。そして何より、明るい未来が待っていることを信じたからだと思う。君たちにはそれらを実行するパッション、情熱が胸の中に受け継婦枯れているんだ。

そんなに頑張っている君たちに今年もまた同じ言葉を贈ります。生きる道が目に前にあり、それが登り道と下り坂なら、登り道を選びなさい。むかい風と追い風なら、向かい風に立ちなさい。困っている人に、手を差しのべる勇気を持とう。

今は、少し辛いが、必ず笑える日がやってくる。まぶしい光が差す時が来る。それを信じて歩き続けよう。自分だけのためでなく、誰かのために!それが人間の品性だ。品格だ。コロナの中の新成人諸君、情熱を信じて胸を張れ、今は少し辛いが、二十歳は乾杯ができる。君の顔に差すまぶしい夕陽に汗を拭って乾杯しようじゃないか。

君たちの情熱に乾杯。

                                       伊集院静

このことばで、私が、一番「すてきだな」と思ったところ、それは

今は、少し辛いが、必ず笑える日がやってくる。まぶしい光が差す時が来る。それを信じて歩き続けよう。自分だけのためでなく、誰かのために!それが人間の品性だ。品格だ。というところです。

このことばを新聞広告として寄せたのは、伊集院静という作家です。私は、結構この人の作品が好きです。何故好きかというと、自己効力感を高められない若者や大人たちに、先日の「ペップトーク」のように、“全面的に応援”をしてくれるからです。そしてこの広告は、ウイスキー会社の広告ですので、最後は「乾杯しようじゃないか」で締めくくっています。私も、次の言葉で始業式の話を終わります。「コロナ終息の年になるよう願っています。3学期の皆さんの我慢と様々な努力に乾杯!」