野口潔人 野口潔人

本学院のホームページ(㏋)にアクセスしてくださった君、そして保護者の皆様、ごきげんよう!(特に中学受験の保護者の方・・皆様には大変失礼ながら、生徒向けの呼びかけ的な表現になっています。ご自身が入学当事者のつもりで、以後お読みください。)
 改めまして、・・・東京女子学院の校長をしています野口潔人といいます。公立の中学校から、本学院、女子中高一貫校に来て1年が経ちました。
 今、君はどのような思いから本学院の㏋を開いてくれましたか?「なんとなく?」「校名が気になって?」「家族が卒業生で?」「お友達が話をしていた?」・・・様々ありますね。何はともあれ、君のアクセスに心から感謝します。ありがとうございます。
さて、私からは、「東京女子学院のこと、知ってほしい。君に!」という思いで、君がより興味の湧くような“話”を精一杯分かりやすくしますから、ぜひ聞いてくださいね。

1 まずはとにかく…「東京女子学院」に足を運んで欲しいのです。

(1)正式な名前は「東京女子学院」です。
“校名”って大事。あたまに東京がつきます。東京女子学院です。

(2)所在地は練馬区。一駅西へ、もう西東京市です。
西武池袋線・中央線の駅からもバスアクセスがよい。

 本校は西武新宿線、武蔵関駅3分。西に行くと次の駅(東伏見)はもう西東京市。そして、小平市や武蔵村山市はすぐそこ。あきる野市から通学している人もいますよ。もちろん、地元練馬区出身の生徒が多いです。(多くの生徒が自転車通学しています)
今回の受験で、埼玉県新座市の中学校の生徒が合格。自宅から自転車で20分だそうです。また、隣接区市からはバスのアクセスが抜群によく、西武池袋線大泉学園駅から15分、中央線・井の頭線吉祥寺駅から13分なのですよ。

2 「東京女子学院」の教育は、新しい「女子教育」を進めます。

(1)歴史と伝統、女子校でがんばります。「新女学校」宣言
創立は1936年(昭和11年)、創立者 酒井 堯先生の女子教育高揚の熱い信念のもと、芙蓉女学校として、「いにしえの関町」に開校されました。
 建学のことばの中には…
『何(いず)れの時代、いかなる国家に於いても、健全なる社会を構成する基礎は、健全なる家庭に在り、その家庭を作るものは良き母親であり、賢き母である。即ち、女性の人となりに在り、理想の女性教育の重要性がここに在る。…ここに敢然と立って我が芙蓉女学校の創立に臨んだのである。』と、あります。
 1949(昭和24)年、校名を東京女子学院と改め、創立者の建学の精神を教育の根幹として、今年度で83年を迎える歴史と伝統に輝く学校なのです。
 ところで、最近、近隣の多くの学校が男女共学校になっています。本校は女子校でがんばります。男女別学だからこその、よりよい女子教育ができるはず。時に「時代に乗り遅れている」と、手厳しく評価されます。また、社会全体が「多様性の時代」ともいわれます。しかし何でもかんでも「男女一緒教育だ」というものではないと思います。
 昨年、ある塾にご挨拶に行ったとき、塾長さんが言いました。

「○○女子学院が来年度から共学になるようですが、
            東京女子学院さんは女子校で頑張ってくれますよね」

 「家庭」の在り方がいかに変わり、社会がどのように変わろうとしても、さらにさらに女性が社会進出していく中で、「淑やかで、気品ある凛とした女性」の育成は、「女子教育」のなかでしっかりやっていかなければならない、とさえ思っています。「多様化」の時代だからこその女子教育を貫き通していきたいのです。そう、私たち「東京女子学院」は、いわば、「新女学校」宣言し、新たな女子教育めざしていくのです。

(2)中高一貫校の魅力は、卒業生であるお母さん、親戚の方が語
ってくれます!
もちろん高入生(高校から入学する生徒)こそ生き生きと生活!

 私立の学校が発展する原点は、「母校愛」や「愛校心」。特に、中高一貫教育の魅力はその思いに支えられています。本学院を卒業した多くの母親や親戚の方々が、自分が受けた女子教育を、我が“娘”にも受けさせたいという思いをもっています。昨年度、面接このように答えた生徒もいました。
「はい、祖母も母もこの学校です!」。
 私立は教員の異動は基本的にありません。だから、長く本学院に勤務している教職員の中には「〇〇さんの娘が入学してくる」ということで、かつて生徒であった〇〇さんの成長を改めて確認しているのです。
 そして、公立中学校等を卒業して本学院に入学してきた生徒は、一貫生と分け隔てなく、日々の授業や行事での活動はもちろんのこと、放課後は中学の時の部活動で頑張ってきたことや小さいころからやってきた“お稽古事”などを、高校に入っても続けていくなど、思い思いにアオハル(青春)しているのです。