”あの日”を思う・・3月

卒業式(6日)を控え、在校生たちが、会場づくりをしています。(本文とは関係ありません) 卒業式(6日)を控え、在校生たちが、会場づくりをしています。(本文とは関係ありません)

 都立発表後の併願の受験生が手続きに来た1日・2日。昨日まで、エントランスに飾られていた「ひな壇」もしまわれました。いよいよ・・本校は、高校生は明後日(6日)が卒業式になります。
 私たち教員は、「3月」が好きです。(たぶん多くの教員がそうだと思います)何故なら、1年(年度)間が終わり、つかの間のホッとした期間が待っているからです。そして、何よりも高校3年生(中学3年生)が、高校生活(中3は義務教育)を終え、自分でつかみ取った自分の進路に向かって歩き出していくからです。(中3は一つの“区切り”をもって新たな気持ちをもつ準備をしていくからです。)1・2年生もひとりひとりの1年分の「成長」を確認できるからです。変な(?)いい方ですが、この「3月」がなければ、こんなに長くこの職に就いていないかも知れません。・・・
 一方「3月」といえば、“あの日”がやってきます。“あの日“のことについて、改めてまた考えてみました。「“あの日”を思う」として綴ってみました。以下、お読みくだされば幸いです。

 

 「コロナ禍」は、いつまで続くのか…、本当に早く終息してほしい。もう2年半も常に考えています。「コロナ禍」の「禍」(わざわい)という字も頻繁に使うようになって慣れてしまいました。    「禍」といえば地震。最近、地震や海底火山の噴火が多いですね。私は先日の「阪神淡路大震災から27年目」の新聞記事の見出しに、“あの日(1月17日)”東京でもずいぶん揺れた朝5時46分を、そして被害がすさまじく拡大されていく状況を職員室のテレビを。防災やボランティアのことばが“あの日”から多く使われ始めました。
 そして、今年の“あの日(3月11日)”は、11年前と同じ金曜日であることに気づきました。当時、公立中学校にいて、年度最後の校長会があり会場へ行く途中でした。コンクリートの地面が確かに大きく波打ち、降りたバスが目の前で大~きく揺れていたこともより鮮明に思い出すのです。そういえば、この3月卒業の生徒たちは、2011年のあの日が小学1年生。あの午後2時46分はどんなにか怖かったことでしょう。出張先からとんぼ返りした私(当時小学校の校長)は、学校から保護者の方々に「お迎えに来て下さい…」旨の緊急メールを流し、多くの方々が早々に“我が子”を迎えに来てくださいました。
 さて、「常にマスク」「3密回避」をいわれ続け、楽しみだった?「修学旅行」が中止になってしまった今年度の卒業生…その“我が子”は、卒業と同時に来る4月、“成人”になるのです。何と時の早いことよ!普通(?)の学校生活を送れずあまりにかわいそうでした。しかし、様々に制限された生活の中にも、“成人”たるエッセンスを本校できちんと身に付けた、と思っています。そのエッセンスは、他の人への感謝の心をもてることと「精神的自立」である、と私は思っています。
 “あの日”、保護者に手を引かれて自宅へ帰った“我が子”は、いよいよ自立への道に踏み出します。自然災害に限らず、これからも起こりうる様々な「禍」に、決して自分を見失わず「自分らしく」生きてほしい。社会に貢献する女性(ひと)として、次のステージのスタートラインに凛として立ってほしい。切にそう願うのです。

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