東京女子学院

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教職員コラム - NEWS&TOPICS

教職員コラム 中学3年研修旅行

中学3年生が、2月28日から3泊4日で京都・奈良方面の研修旅行に行ってまいりました。本学院の研修旅行の特徴は、歴史や文化を理解するための体験学習が豊かなことです。京象嵌・清水焼絵付け体験・お抹茶体験、さらには精進料理の意味を学びながらの昼食体験など、全てが良い経験であり、良い思い出となりました。

 郷土料理体験で柿の葉寿司を食べて、「あ、柿は奈良の特産だったんだ」と、初めて柿と法隆寺の関連に気づいた生徒もいました。

  柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺   子規

 

 旅行中、特筆すべきは3月1日から本行入りする東大寺二月堂の修二会の見学です。舞台に上がった大松明から火の粉が滝のように降り注ぎ、堂内から練行衆の声明が音楽のように響き、舞台にも上がらせてもらって、みんなが感動しました。今年で1261回を迎える春を呼ぶこの行事は、本来1年間の反省の行ですが、今年は東日本大震災の復興への祈りも込められていたそうです。

 

 今回初の企画には、奈良公園での「鹿寄せ」・東大寺ミュージアムの見学、京都市内のタクシーによる自主研修などがあり、大変変化に富み、有意義な4日間となりました。充実した旅行をささえてくださった多くの方に感謝します。生徒達は中高6年一貫折り返しの節目を迎えようとしています。

                              教頭 小林伸嘉

 

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教職員コラム 「イシアタマ」考

ここで取り上げる「イシアタマ」とは、医師特有の思考「医師アタマ」のことをさします。この言葉は、尾藤誠司氏らが医師としての経験をもとに、医者と患者がなぜすれ違うのかを考察した著書に端を発しています。

「医師アタマ」は、自然科学至上主義の影響で曖昧さを許さない思考回路です。自然科学としての医学は、個々の人間を均一な存在と考え、統計学的な資料として扱う傾向があります。この思考によって医学は大きな進歩をしてきました。また実際の医療現場では、医者によって判断が大きく変わらない状況をつくっています。つまり医者にとってなくてはならないものです。しかし「医師アタマ」の問題点について、尾藤氏は「医学的に正しいことは患者さんのためになっていると医者は思い込んでいるが、医学的に正しいことが必ずしも患者の幸福につながらない。」と表現しています。

人間は千差万別の価値観を持っています。一人の人間をとっても、価値観は常に一定ではなく、揺れ動く存在ですから、医学的に正しい治療であっても、必ずしも受け入れられないことはあるわけです。

日々診療に従事している身にとって、治療自体が上手くいっている場合であっても、時に生じる違和感の正体が見えたような気がしました。医師が「自分の医師としての思考は、一般の人とズレていることがある。」という認識を抱くことは、今後、より良い医療を目指す上でも大切なことだと思います。

また、尾藤氏は病院などでよく見かけるスローガン、「患者のための医療」や「患者の立場に立った医療」について、痛烈な批判をしています。「『患者のための医療』は思い上がりの医療 医師アタマ的な正義感に基づいて患者のためにしてあげる医療である。『患者の立場に立った医療』は勘違いの医療 医療者は患者の立場にはなれない。できるのは患者に寄り添い、声に耳を傾け、尊重し、お互いのことを理解しようと努める『患者とともに考える医療』である」と。

 土の下はどっしりと根をはりながらも、地上はしなやかに揺れる木々のように、専門職としての基礎を持ちながら、患者さんに共感し、尊重しあえる関係を築く「しなやかなイシアタマ」でありたいと思っております。

 

      学校法人東京女子学院 理事長 酒井 利幸

 

*東京女子学院では一年に3回「保護者会」を開いています。その都度「保護者会資料」をお配りします。12月は16ページに及ぶ冊子になりました。今号では、その冒頭に理事長による一文「『イシアタマ』考」を掲載しました。本学院の理事長は医師も務めております。よく「医者の業務は、教員の仕事と通うところがある」と口にされます。「医は仁術なり」を地で行く先生らしい一文です。生徒のための教育などという思い上がりは慎み、「生徒と共に考える教育」を貫きたいものです。

 

教職員コラム 本校での取材が、NHK「首都圏ネットワーク」で放映されました

「ごきげんよう」。

東京女子学院の伝統的な挨拶ことばです。朝礼でも終礼でも、授業の始めと終わりにも、生徒も教員も皆で明るく交わす挨拶です。

 

 寒くなりましたね。年間で最も寒い時季を迎えます。しかし、一陽来復です。今日は冬至を迎え、明日からは日脚が延びることになります。校庭や教室の窓から真っ白な富士山が望まれる日々が増えてきます。

 

 12月15日の夕方、NHKの首都圏ネットワークNewsで、本校の「ごきげんよう」の挨拶が電波に乗りました。中学3年生の礼法の授業の一コマです。礼法室で礼法の授業が始まる際の生徒たちの姿でした。昨今では、このような学びを提供する学校は少なくなりました。受験効率を意識し宣伝して、中学・高等学校での出口評価は大学合格実績しかないと割り切る手法もあるのでしょうが、本学院の教育では、生徒が社会に出てからのことを考え、知育偏重にならない教育、知性と感性がバランス良く調和・融合する教育を貫いております。「考えつつ学び」「学びつつ行い」「行いつつ考え」て生きることのできる女性の素地を養います。社会に出た時、答えのない課題にも積極的に立ち向かう勇気と、どんな窮地に立っても明るさと周囲への配慮を失わない「ひととなり」を育んで参ります。

 今や、企業の人事担当者も、著名大学を出ただけで採用を判断することはなくなっています。価値観の「ものさし」は、学歴だけではありません。学歴よりも「ひととなり」が重視される時代となっています。

 

 NHKの首都圏ネットワークNewsでは、公立の中高一貫校が続々開校して人気を集める一方、「中堅の私立女子校で募集が容易ではなくなっている」と報道しました。その例として、練馬区の東京女子学院と世田谷区の女子校が取材されていました。本校は、「多い時には1400名いた生徒数が、今は1割の140名に減少している。今春の中学入試でも応募者が17名に減少」との切り口で紹介されていました。人によってはネガティブに受け止めかねない報道です。時間的制約があるNewsという性格上、肝心なところや本質に迫る編集は難しいのだろうと思います。特定の学校を宣伝するわけにもいきません。

 取材受け入れにあたり、校長として覚悟していたことが三つあります。①現実を直視する覚悟と、②確実に応募者増を図る覚悟と、③教育の質的改善を図る覚悟でした。果たせるかな、NHKでは20年も前の生徒数との比較で生徒数の減少を際立たせていました。その構図の方が、Newsとしては取り上げやすかったのでしょう。私は、20年前に戻そうとは考えていません。「1400名ではできなかった教育が、少人数になった今だからこそできる」と、前向きに考えています。だからこそ、インタビューで「中高一貫教育は、もともと私立校で育った制度です。今まで私立には目が向いていなかった層にも、公立の適性検査導入を機に、私立の中高一貫校の価値に改めて気づき、私立校受験を考える層が増えてくれるとありがたいですね」と答えました。平成24年度から、中学校入試に適性検査型入試を導入しますが、公立の中高一貫校型の適性検査問題を真似る意図はありません。「考える力」を持っているのに、従来型の入試問題では切り捨てられてしまった層がいます。その層の受験生を受け入れ、中高一貫の本学院でしっかり教育していこうと考えての導入です。中学入学者は6年間を一貫でお預かりします。成績不振を理由に中途で他校受験を勧めるなど、とんでもないことです。本学院では切り捨て教育はいたしません。ご安心ください。毎日通学してくる生徒なら、伸びない生徒はいません。大きな伸びしろに期待しましょう。

 *12月19日()には、NHK「おはようニッポン」でもダイジェスト版が

   放映されました。全国放映でしたから、あちこちから反応が寄せられています。

 

 本学院では、教職員が力を合わせて、着実に教育の質を高めて参ります。生徒数も、徐々に増やして参ります。1400名では行き届かなかった面にも、150名、200名の少人数教育なら十分に目が届きます。学校説明会に来校される受験生が着実に増えています。広報活動でも、本校の教育を理解してくださる方々が多くなっているとの手応えを感じております。

 今年度から始めた「Blooming Program」や、大幅な見直しを図った「TJG English」を、来年度は更に充実させて参ります。世代交代も考慮しつつ、教員の補充をして参ります。例えば、世界を視野に入れた教育を推進するために、TOEIC800点、900点の実力を備えた教員を増強しようと考えています。教員としての資質を備えた人材であることは言うまでもありません。

 東京女子学院も一陽来復の季節を迎えています。本学院の教育にご期待いただきたく存じます。

 

                 平成231222日(木)    校長 金 井  康

 

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教職員コラム 「教員にもとめられる資質」(2/2)

 教壇に立つ者であれば、教科書レベルのことは理解できて当たり前です。知識の総量としては生徒を上回っていて当然です。教員免許状は大学で取得する資格ですから、少なくとも大学を卒業できる学力は持っているはずです。しかし、教科書・教材で何を教えるのかを問われるのが教員です。教科書に書いてあることを知っているだけでは教員は勤まりません。教科書の項目を深く掘り下げて微細なことまで知っているだけでも教員は勤まりません。単なる物知りに過ぎない教員の授業には、教育理念や指導信念・意図が伴っていません。理解を導くに十分な授業準備がない授業は、生徒の理解を妨げるだけでなく学習意欲を減退させます。教員は知ったかぶりをしてはいけません。知らないことは知らないと言い、分からないことは分からないと言えばいいのです。「分からないから次回までに調べてくるね」と言って、自分の宿題にすれば良いのです。

 

 教員に求められる資質は、①導入期の基本事項の反復を生徒に楽しいと感じさせる力、②生徒のつまずきや問いかけを理解して、誠実に疑問の解消を図る力、③基本から発展に進む時機を的確につかみ生徒を導く力、④生徒の心に迫り、感動と自信を与える力、⑤飛躍への勇気を生徒に持たせる力、などが挙げられます。

そのためには、常に生徒をしっかり看ることです。生徒に真剣に向き合うことです。時に生徒と一緒に苦しみ悩み、時にハードルともなる覚悟を持つことです。教員の仕事には際限がありません。生徒は悩むものです。失敗するものです。嫌なことからは逃げるものです。それをどうフォローアップできるかが問われています。

 

 教員が自分で勝手に柵(さく)を設け、指導範囲を限定していたのでは、それこそ開く埒(らち)も明きません。もちろん四六時中働き続けることは無理なことです。個としての生活も大切です。しかし、生徒を育てようとする自覚と研鑽と慈愛は常に忘れるべからずです。卒業まで、しっかり育て上げることが教員の使命です。手抜きをして当たり前になっている教員や、指導が必要な時に手をこまねいていて平気な類の教員は、東京女子学院にはおりません。

 

  努力が全て報われるとは限りません。しかし、達成の歓び、成功の喜びを味わう者には必ず努力があります。生徒にも教員にも、貴いのは終始一貫の至誠努力であると考えています。東京女子学院には、「生活即教育」という素晴らしい理念があります。日々の生活の中には、誰かがやらなければならないこと、誰かが必ずやっていることがあります。それらのことは、誰かに命じられたからやるものでも、やらずに済ませられるものでもありません。できる時に、できる人が、進んでやるから、日々の生活が成り立ちます。人に言われてする仕事は、間に合わせでしかありません。命じられてすること、当番ですることは、本当は「生活即教育」の理念から隔たっていると考えます。自発的意志がない限り本物ではありません。

 

                                                                       校 長 金  井  康

教職員コラム 「教員にもとめられる資質」(1/2)

かつて出会った教員の、考えられないような姿をご紹介します。

先ず、国語の教員。教科書と大学ノートを持って教室にやって来ます。何年も同じノート持参で授業をしているのでしょう、変色しています。「形容詞には(ノートを見て)ク活用とシク活用があって、ク活用はエーと、(ノートを見て)『く・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ』と活用する。シク活用はこの活用の頭に『し』をくっつければいい。覚えとけ。」こんな調子で授業を進めます。理解を助けるための板書はほとんどありません。自分が顧問を務めるクラブの生徒にだけ、補習と称して定期試験の問題を直前に教えます。それが人気取りになると信じて疑いません。

生徒の質問:方丈記に「所も変はらず人も多かれど」とありますが、「多かれ」は已然形ではないのですか?」  先生の返答:活用させれば分かるだろう。~

 

次に、数学の教員。教科書とチョークだけ持ってベルと同時に教室に入って来ます。教科書を開き、すぐに例題の数式を板書すると、淡々とその数式を黒板に向かって解いていきます。口にすることも書くことも例題に書いてあることそのままです。生徒の顔を見ることも、生徒のノートを覗くこともせず、練習問題も発展問題もそのまま黒板に独りで解いて、ベルと同時に教室を出て行きます。気にくわないことがあると、ささいなことでも長時間の説教になります。減点します。生徒は、誰が何を怒られているのか分かりません。ベルが鳴るのを黙って待つだけです。

生徒の質問:2と1の差が1だと言うことは判りますが、0と自然数の1との間は本当に1で正しいのですか?  先生の返答:当たり前のことを聞くな。~

 

止めは、英語の教員。授業時間に5分は遅れて教室に来ます。その日にやる英文を音読した後は、決まって脱線。C先生は△△...、Q先生は◇◇...、X先生は▽▽...。先生のうわさ話と職員室の裏話を面白おかしく話します。自分の失敗も話しますが、結局は自己正当化と自己弁護と自己宣伝です。自分の授業は眠る生徒がいない、というのが自慢らしいのですが、授業時間の過半はこれで終わります。ひとくさり生徒をわかせた後、さっきの英文に戻ると、残り時間でさっさと訳を付けて授業は終了。試験には教科書レーダーの問題がそのまま出され、点数が付けられます。

~生徒の質問:"I can speak English."と"I am able to speak English."は、どう使い分けるのですか?  先生の返答:同じだ。~

 

 おかしな話ですが、こんな教員が教壇に立っていました。反面教師にもならない情けなさです。三人に共通するのは、教員として生徒を見る姿勢に欠けることと、教員としての使命感の無さでした。生徒が何を質問しているかが解っていません。教員としての勉強不足も否定できません。教員としての目で生徒を観ることができていません。自分がいかに生徒をないがしろにしているのか気付きもしません。あわれと言うばかりです。既成の設問に正解を示すだけなら、問題集の「解答と解説」で済むことです。

 

                      校 長 金 井  康

コラム 「芙蓉祭」に向けて

「芙蓉祭」が917()18()に開催されます。本学院の文化祭の特長は、生徒たちが1年にわたり時間と手間をかけて制作し練習してきた成果発表の場という点に在ります。元々は「芸術発表会」と呼ばれていました。手芸・書道・華道・写真・研究・美術の展示部門と、演奏・演技の舞台部門などは、全校生徒が鑑賞することを伝統としています。静かな展示もあります、華やかな発表もありますが、巧拙を問うことを目的とはしていません。生徒一人ひとりの地道な努力と成果を、お互いに讃え合う気持ちを大切にしています。

生徒会はスローガン「TJG revolution」を掲げての取り組みをしています。企画部門を独立させて、クラブ活動の発表・体験・招待試合などの他に、クラス企画として演劇・模擬店などを盛り込んでいます。江戸千家芙蓉会の「お茶席」、芙蓉瑩心会の「華道ミニ体験」、日本アロマ環境協会の「AROMATHERAPY」、弦楽器指導者の「Singing birds演奏会」などの協賛も頂いています。本学院ならではの企画に期待が膨らみます。

「芙蓉祭」当日の生徒たちは、分刻みの動きが必要となっていますが、笑顔を忘れずに懸命に活動する生徒たちの明るく健やかな姿が、清々しい風となることでしょう。

校長として講堂朝礼で、「精一杯準備して、思いっきり楽しもう。自分も楽しみ人も楽しませる『皆で楽しむ芙蓉祭』を創りあげよう。多少の失敗があっても構わない。お客さまの笑顔がもらえる『おもてなし』を心がけよう。やるだけのことはやったという充実感と達成感が喜びだ。それが明日に繋がる。」と檄を飛ばしました。

                           校長 金 井  康

コラム 'Knowledge is Power'その4

 本当の「知識」と「知恵」を獲得するには、時間がかかります。真の認識に至るまでには、覚える時間、咀嚼する時間、消化する時間、骨肉化する時間、客観視できる時間などが必要です。そのための時間は、正に自分のための時間であり、自分の人生にとって決して無駄にならない貴重な時間です。自らの「教養」を深めるための時間です。

 インターネット上の情報を全て知識として蓄えるなどは、不可能なだけでなく無意味なことです。ほとんど無限に流れる情報の中から、必要なものをいかに抽出し、理非と軽重を取捨選択するかが問われます。新たな視点を見出して行くには、相当な見識と複数の物差しが必要になります。

 一つひとつの知識は、バラバラでは機能しません。学んだことや手にした情報は、そのまま無批判に受け止めるのではなく、知恵を働かせて融合していく必要があります。「知性」と「感性」を「知恵」で紡ぎ、カタチにする「力」にまで高めることです。深い「教養」が吟味する力となります。

 

                             校長 金井 康

コラム 'Knowledge is Power'その3

「知識」と「知恵」が融合して「教養」が生まれると記しました。体験や経験を重ねて、その中から自分の知恵を培い育てて行ってほしいものです。単に知恵が回るだけでは不十分です。

知恵を育てるには、「情緒」の在り方も問われます。美的感受性豊かな「情緒」は、「知恵」を誤った方向に導くことがありません。憎むべき小賢しさや小利口とは無縁です。

深い「教養」と確かな「知恵」は、人の目には見えません。もっと「みたい」「知りたい」「聞きたい」という奥ゆかしさを人に感じさせるものです。人の心を引く魅力です。正に「目には見えない大切なもの」です。

Knowledge」による「Power」は、至誠努力を通じて初めて獲得され発揮されるものであると考えます。「教養」を身に着けるために、誠実な努力を日々続けていれば、いざという時に「知恵」となって湧いてこようというものです。

こうなりたい、ああしたいとVisionを持ったら、hard Workは当然と覚悟してください。途中で諦めてはいけませんね。

                             校長 金 井 康

コラム 「当たり前のこと」は掲げていない

ある会社とお付き合いがあり、その担当者が本当にこちらのことを考えてくださって嬉しく思ったことがあります。

そして、困ったことが起きたとき、その会社に対応をお願いしたところ他の社員の方々もとても良く対応してくださいました。

 

その会社は本当に「顧客第一」の考えを持っていると思い、会社のHPを見ましたが、理念・方針・ビジョンのどこを見ても顧客第一という文字は出てきませんでした。

この会社では、顧客第一が企業の風土として創り上げられていて、「当たり前のこと」としておこなわれており、方針等として掲げる必要がないのだと感じました。

 

種々の企業の方針等をみると「すばらしいな、そうなりたいな」と思うものばかりですが、裏を返せば「できていないから方針に掲げる」必要があるのでしょう。

何も掲げていないことの方がすばらしいのかも知れません。

 

                          事務局長 行田 源

 

 

コラム そうは問屋が卸さない

できないからこそ計画を立てると書きました。でも立てた計画通りに進むことは稀です。もし計画通りに進むようであれば、それは計画ではなく段取りの域の事に過ぎないでしょう。

 

経営計画のような大きなものを計画・立案する時、「こんな計画を立てても実現は難しいな」「本当は無理だけどつじつまを合わせるとこうするしかない」などと思うことがあります。更に出来上がったものを確認すると、「数字合わせになっている」と感じてしまうこともあります。

できないからこそ計画を立てるのに、その計画がまるで絵に描いた餅のように感じてしまう。本当に計画は必要なのか?とジレンマに陥ってしまうのです。

 

この話をポロリとこぼしたところ、いつもは寡黙な顔見知りのおじさんが私に話をしてくれました。目から鱗のその話を要約すると。

・計画通りに行くなんて「そうは問屋が卸さない」もの

・計画の大切なところは、軌道を外れる要因・原因を掴むところにある

・事実から原因を掴み、対策を考える、そのために計画があると考えればジレンマにはならない

・事実、原因、対策を繰り返していくことで、計画策定の能力が向上する

 

なるほどと思い続け、長い時間が過ぎました。ジレンマに陥ることはなくなりましたが、計画策定能力の向上の方はというと? 問屋はそんなに安くは卸してはくれないのです。

獲らぬ狸の皮算用をしてはいけないと命じています。

 

                           事務局長 行田 源

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